…、ま、いいけど…。

MARUYAMA Masayukiさんの<ents9c$1hl$1@newsL.dti.ne.jp>から
>> そのようなバリエーションがあっても「根本はそれほど変わらない」のです。

>  だとすれば、高々fj委員を選ぶ選挙をめぐって、こうも論戦が
>続くとは思えません。「根元はそれほど変わらない」ことを客観
>的かつ論理的に論証してください。

繰り返しになりますが、

wackyの<lXsoh.102$zG6.100@news3.dion.ne.jp>から
$>> その常識が共有可能であれば説得力を持つわけです。
$>
$>そうなった時点で議論はおおむね終わるわけですが、なかなかそうはならない。
$
$そうならないのは、個人的利害関係により*目が曇っている*ことに起因するこ
$とが多いようです。
$#そ〜ゆ〜ヒトは一般的な社会常識すら認めなかったりするので始末に悪い

ですね。

根本が変わらなくても、「自分に都合良く常識を解釈する」ことで差が生じ、
個人的利害にかかわるので妥協できない。ってことです。
#以上、矛盾無く論証されました。
#要は、個人的利害を超えた客観的視点を持つこと。が、重要です。


>> wackyが述べているのは「NGMPの記述は(特記無い限り)社会常識に基づいてい
>> る」ということです。従って「NGMPの解釈も(特記無い限り)社会常識に基づい
>> て行われなければならない」わけです。
>
>  大雑把な話としては、それはそれで良いとして。
>
>> つまり、「参加者には投票義務があると解釈*できる*」としてもその解釈は誤
>> りです。その解釈は社会常識に反するからね。
>
>  選挙権については昔から「民主主義的思想に基づけば、投票は
>単なる権利ではなく、むしろ義務である」「投票しなかった人に
>は施政を批判する資格がない」といった主張をする人が少なく
>ありません。現在でもgoogleなどで検索すると、そうした主張が
>散見されます。

下らない詭弁です。^^;
#「みんな言ってる」論であることを別にしても…

普通の常識をもって理解すれば、それは「投票権を持つ者はすべからく投票す
べきである」といった主張であって、「事実として義務である」「事実として
資格が無い」といった愚かな主張ではないでしょう。

#ま、実際には、為政者サイドの人間が「資格が無い」ということにしたい理
#由は「個人的利害関係」に負う部分が大きいでしょう。

>  そういう観点をまったく無視して「その解釈は誤り」とか「社
>会常識に反する」などと断言できるのは何故でしょうか?
>  wacky氏がそのように断言する根拠の提示をお願いします。

上記。


>--- wacky wrote in Message-ID: <KtWch.95$852.16@news3.dion.ne.jp>
>一アドレスに付き一票じゃないの?
>--- End
>
>  一般社会の選挙では、通常「一人一票」が当然ですが、これは
>wacky氏の「一アドレス一票」という発言と大きく異なっています。
>  wacky氏は「NGMPの解釈も(特記無い限り)社会常識に基づいて
>行われなければならない」と主張していますが、もう一方の主張
>である「一アドレス一票」がその主張に従っているとお考えでし
>ょうか? もしお考えなら、論理的かつ客観的に説明してください。

それがfjにおける個人の識別子だから。ですね。
「アドレス」が気に入らないなら「名乗り」でも「ハンドル」でも構いません
よ。通常それらは1対1に対応するものですから。

-- 
wacky