Shinji KONO wrote:
>>なんていうか、末端利用者の視点から見ると、例えば、表参道の通りに面した
>>オープンテラスで国会を開催していて、デモ隊はシュプレヒコールをあげるわ、
>>街宣車はスピーカでがなり立てるわのさなか、議員は議員で外野の野次には罵倒
>>で応酬しつつ議論を進めようとするのを見ているような、そんな感じがしなくも
>>ないです。

> 僕は、まぁ、そういうのに馴れて来たから、そんなものかと思ってます。
> 話が進まないのも馴れてるし。

それは、河野さんは、猛者中の猛者ですから。(^^)

> 「みんなでやる」なんてのは幻想で、結局は、自分でやるしかないってこと
> だよね。

ここに河野さん本人が気付いていないかも知れない飛躍があって、前段は ok な
のですが、いきなり後段に飛ぶから、塚本さんともめてるんじゃないかと邪推し
ます。「みんなでやる」という幻想は一旦捨てて、「やる気のある有志でやる」
──という程度(これを間接民主主義と呼んでみたわけですが)が穏当だと思いま
す。この「やる気」というのも、ある行動の“インスタンス”(例えば「第三者
キャンセルやるぞ」)に関しての「やる気」ではなく、そのインスタンスを派生
させる規範となる“クラス”の設計に関する「議論についてコミットする気があ
る」という意味での「やる気」です(だから「第三者キャンセルやるな」という
反対のインスタンスに関する意見を持っている人も「やる気のある人」に含まれ
ます)。

──と、一旦冷静な態度で、そういう風に考えたのですが、僕個人としては、委員
任期の延長だとか、ML でいいじゃないかとか、ヴィジョン的にはかなり共感を
感じる河野さんが、ffj 委員に関して、fj 委員の頭越しにいきなりインスタン
スの発動(対症療法と評したのはそういう意味です)という張り手を突きだして
きたというのは、いったいどうしちゃったのだろう? その“三島由紀夫”的激情
や如何に? と、とまどいを覚えていたわけですが、ふとお気持ちがわかったよ
うな気がしました。今まで、河野さんはそういうことがわかってて、ずっと以前
から折々に訴えてきたのに、fj の運営中心に近い場所にいたようなコアなユー
ザの方々が(総体として)官僚主義的で、何一つ体制を変質させることができな
かった。そういった思いの蓄積が、もうジリ貧になり続けて、もう限界みたいな
状態になって、「自分でやる」しかないという思いに至ったわけなんですね。

体裁ばかりにこだわってらんない、と。

ちょっとまだ ffj というインスタンスに関しては、僕は積極的にコミットする
気にはなれないのですが、一番大枠の所では、fj 委員、もしくは fj 活動家と
しての河野さんを信任しておりますので、動向を見守らせていただきたいと思い
ます。先の「対症療法云々」の意見(成岡さんに対するコメントも含めて)は撤
回させていただきたいと思います。

-- 
Masanori HATA
# 蚊帳の外から