古寺です。

SHIMADA,makoto さんwrote:

> NIDE Naoyuki wrote:

>>>    ・編成全体としての格調と美
>>
>>の中に「食堂車がある」が入っていない…
> 
> 
>     「特急の必要条件」としての食堂車はスハ44系
>    以前で確立されていたもの、との前提で書いて
>    いました。…しかし、思い出してみれば「こだま
>    型」モハ20系の登場時には食堂車はありません
>    でしたね。モハシ26のシは「ビュフェ」であって
>    「食堂車」ではなかったのですから。後に食堂車
>    のサシ151が登場したわけですけど。

「ビジネス特急」というのを、従来の特急とは違う売り込み方の商
品として扱っていた雰囲気が有ったそうですね。「こだま」の時点
では3等車が定期特急としては特に多かったりも含めて。これもピ
クが「遜色急行」の前に181系特集をやってて、昔読んだ歴史記事を
思い出させられた事でもあるのですけど、「電車もここまで作り込
めば、優等列車として十分な居住性が有るじゃん」という認知は、
「こだま」営業後に始めて確立されたように思えます。
作った側は最初からある程度自信が有ったのでしょうけど、営業サ
イドなどに認められるという意味でですね。
で、主に特急の中でも抜きん出た速さがウリだったのが、他の特急
も統合する事になり、

>     「特急としての格調」と言えば展望車のない
>    特急など格調に欠ける、という認識の時代でした
>    ね。前記のモハ20系も後に「展望車に代わるもの」
>    としてパーラーカーのクロ151が登場したわけです


と(^^;

>    けど。

>>  1970年代には食堂車のない短距離特急も出てきていた
>>ところを見ると、「食堂車の存在」は関係者が考える
>>「特急の設備の必須基準」からは早くから抜け落ち
>>ていたと言えるんでしょうね。
> 
> 
>     あれは「手っ取り早い増収策」としての特急乱発
>    のハシリでしょう。関係者の本音は「特急の皮を
>    被った準急(急行ですらない)」だったのではない

上と同じく181系特集での思い出しですが、「あさま」って電車特急
としてはまあまあ早い('66)段階での登場ですけど、推進運転による
両数制限から食堂車が抜かれてるわけですよね。やむなし、みたいな。
少し間が有って(その間に自分は「何号は何形」とか大雑把に把握す
るように)、登場時点を自分で直接はっきり認識できた最初の事例と
して房総特急用の183系が登場するわけですけど。これが最初から
全く食堂車を用意しない系列ってことで、物議を醸してましたね。
これが「あずさ」にも共通運用されますが、「あずさ」の181系も新
潟から長野に持ち替えになる(主に東京〜上野回送線が新幹線工事で
支障するが理由だけど、実質単線で東京延伸直前まで使えなくもな
かったんじゃ...)際に、これも道連れで食堂車がなくなる(ついでに、
東日本では新潟長野とも運転台屋根上装備が撤去になり、結局後登
場の直流形の屋根が全て寂しく^^;)と。

房総特急に関してはまさに仰せの通りで。「あさま」「あずさ」に
関しては少々複雑な面も。「あさま」の方はまず、489系が「白山」
の間合いで使われた物に関して(12連)は当初食堂車営業で、連結で
きるなら営業する姿勢が有った。しかし189系が181系の代替として
登場するに当たり、特別に長時間の特急じゃなければ非連結に既に
傾いてましたね。新幹線も伸びて来てるし、直流専用形式の運用範
囲なんぞ、想定されるのはどこも短距離の範疇だ、みたいな。
ただこの辺りの時点、微妙に期間オーバーラップしてると思いまし
たけど、信越・中央とも急行がビュッフェ営業してたんですよね。
'76あたり、家族や家族+同級生の旅行を信越ワイド方面に引っ張っ
て行ったりしたのですけど、特急にすると一応ロマンスシートだけ
ど、急行にビュッフェが有るのになんだかな〜と。

#列車の選択には急行のみ料金免除の影響が大きかったですけど。
#信越の方は、妙高だけ影響で長野どまりの信越は休止か、休止が
#多かったように思います。

その後、特急形MT1:1→2:1化でサシを外したりは、人件費高騰で
割に合わないという流れとも一致したようで、その辺になると格
もなにも無くなって来ますね。私鉄の座席指定ロマンスカーとほ
ぼ同じノリの特急になって行く。
営業休止の順序に関しては、「ひばり」が営業の頃に常磐線は共
通運用のるつぼで大抵連結していたのに「ひたち」は休止(乗車
時間の差、大)、全指で青森直通の「みちのく」が営業中なのを
ホームから見て妙に特別に見えたりと、多少の時期前後も。
'80年代に入って、食堂車連結の長編成を一旦、その長いまま置き
換え、キハ80のような短編成をむしろ考えなかったのに183系DCか
ら食堂車を無くしたり。ここに至ってはもう、完全に順次無くす
という姿勢がありありとしていました。

>    でしょうか。そんな短距離では食堂車を連結しても
>    採算は見込めなかったでしょうし。その前の時代
>    でもモハ157系の臨時特急【ひびき】というのはあり
>    ましたが、まあモハ157系自体が特急型ではないと
>    いうことで例外でしょう。

まあ冷房が載った後も定期との比較で遜色というか、格落ちとして
見られてはいたようですね。

余談ですけど、よく雑誌なんかの記事では「運転時間がx時間に
及ぶ列車でも非連結になってきた」という表現が、食堂車外しが
徐々に長距離に及ぶに連れてなされてましたけど。高校生の頃ま
ず、「食事時間帯に食事可能な人数って、列車定員に対して結構
少ないぞ」ということと、あっちこち行くようになって「通しの
利用者もそもそも少ないんだなぁ(その頃には)」と思うように
なりました。
新幹線に関しても、3時間越えての連続乗車はまれとされるわけ
ですし、元々使え+使わない人の方が多かったのだろうなと。
使いたい人に提供されないというのは、それはそれでサービス上
問題が皆無ではないですけど。
切実そうに見えたのは利用者が長距離に固まる寝台ですけど、14,
24(25)系の関西〜九州特急に食堂車が用意されなかったのは、
下りでは夕食済ませてから乗車が一般的な時間帯設定で利用が少な
かったのでしょうかね。東京発着各方面では、深夜帯に近い発車の
短距離(北陸方面など)を除いてかなり続いたわけだし。