Re: 衆議院を解散できる権限は何処から出てくるか Re: 真の争点(4)
"ichiro,s" <aomimi16@poplar.ocn.ne.jp> wrote in message news:deod0t$qev$1@news-est.ocn.ad.jp...
> 太宰 真 wrote in message ...
>>
>>"ichiro,s" <aomimi16@poplar.ocn.ne.jp> wrote in message
> news:dejqjr$qsg$1@news-est.ocn.ad.jp...
>
> 憲法解釈上、如何なる立場に立つにせよ、多くの有識者から
> “やけくそ解散”とか“やつあたり解散”とか言われるような解散については、
> 憲法が予定していないことは事実。選挙費用予定額769億円が、果たして
> 国民として受認しなければならない程のせっぱ詰まった状況のもとでの必要支出額
> といえるのかどうか。もしこの財政措置が首相の個人性に帰着するならば、
> その違法性は濃厚となるに違いない。
なるほど。「やけくそ解散」とか「八つ当たり解散」というようなものをできるだけなくすに
は、69条説の方が、より妥当かもしれませんね。内閣の裁量がそれだけ少なくなるわ
けですし、裁量範囲が狭まるということは「やけくそ」や「やつあたり」を原因とする解散
もそれだけ減るということですから。
わたくしは「法解釈とはなんだ?」とする疑問にかなりシンプルに答えてくれるのがこの
問題のような気がしております。論理必然的に導かれた結論、正確な論理の行き着く
ところが、なにか、法解釈における結論であるかのような誤解をしている向き、理科系
ポッと出の無知な者も、なにか、数学や論理学の素養があれば、法律学においても
何かを語れるというような大いなる誤謬を犯してはばからないものへの皮肉たっぷりの
問題のひとつがこれではないかと思うわけです。どう突っつけば69条説、7条説のい
ずれかに軍配を上げることができるのか、、、、単なる痩せた「理屈」からでは結論は
出てこない。つまり、学説の持つ論理が、具体的事例にどのような結論を導くように機
能するかということと、価値判断こそが決め手となる。
平たく言えば、鈴木氏も挙げておられるように、起こり来る具体的事件と「相談して」し
か決せられないのです。すなわち、7条説に立てば、内閣が「主観的に」美しい言葉で、
民主政治の運営上、新たな国民の総意を問う必要ありと
客観的に判断され得る十分な理由がある、
と思いさえすれば、自由に解散する事が可能となる。すなわち、われわれから見れば、
「やけくそ解散」とか「八つ当たり解散」にしか見えない場合にも、この7条説は解散可
能という結論を導く事になる。これでよいのか(価値判断)。
しかし他方、次のよう場合はどうでしょうか。
衆議院では野党連合が多数を占めていたところ、与党は
解散して総選挙に訴え、現在の世論が自分たち与党を担
ぐものが多い状況を見逃さずに、一気に打って出て、単独
且つ多数党に伸し上りたかった。勿論その状況を知ってい
た野党連合は、内閣の信任決議を否決することも不信任
決議を可決する事もしなかった(いわば時の流れが自分た
ちに向いてくれるのを待った)、
としよう。このような場合、69条説に立つ限りは内閣は国民の信を尋ねることすらでき
なくなる。果たしてこれでいいのか(価値判断)。
法解釈は一般的な規範の確定とその意味を明らかにする事でありますから、上記二つ
の事例についても妥当な結論を導く事が必要となる。妥当な結論は導かなくても差し支
えないとするのは、「悪法も法である」とする薄ら馬鹿の考えであってyam氏の言うところ
の低学歴層の連中の意見であります。わたくしには今を含めて今後如何なる事件が起
こり来るかを想定できないが故に見解は保留せざるを得ないわけです。宮沢俊義はこれ
にひとつの突破口を見つけたと思って7条説を唱えた。すなわち、
解散がいかに国民の納得のいかないやり方で為されようと、
為された結果は、つまるところ、国民の信を問うことであろう、
ならば、結果オーライで少しも危険であるとかまずいという事
はなく、それこそは民主政治の目指すものである、と。
しかし、わたくしは、この宮沢の考えは一種の「詭弁」であると考えるわけです。いかに
手続き過程にでたらめがあろうとも「選挙」を招来する限りは、全て民主的だとする。少
なくとも憲法はそうとばかりは考えてはいない。代表民主制によって国民の意思を受け
て定立された「法律」は、なんなく裁判所によって葬り去られる場合が有ることを憲法自
身が認めているからです。それに、「選挙」によって決定する事項が国民の意を受けた
としても、「解散」手続きの正当性もが同様に国民の意を受けているといえるかははな
はだ疑わしいからであります。結局、宮沢の学風は憲法の趣旨を問うというよりも、「理
念」で、時には憲法がそれを制限している場合があることに思い至らずに、押し捲る学
風であったわけです。文学的憲法論といわれるゆえんはそこにあった。
> 今回の国事行為にまつわる事件は、単なる公権力行使の次元にとどまらず、
> 税金の使途がからんでいるだけに、訴えの利益は歴然としている。
> 重大な違法性が問われるならば、納税者訴訟に持ち込まれて当然である。
> 納税者訴訟というよりは、「国民大訴訟」として大々的に展開し、従来、憲法判断を
> 避けに避けてきた最高裁判所判事どもに、今度こそはきっぱりとした判決を求めるよう
> 声を大きくしなければならない。最高裁が違憲合憲を判断する終審の場であることを、
> 自覚して貰わねばならない。
そのとおりですね。69条説か7条説かを決めるのも結局は、この具体的な事例をどう価
値判断するかにかかっているとすれば、ここのところを蔑ろにはできないでありましょう。
わたくしは、ここで主張されている鈴木氏の意見に全て賛成であります。今は、769億
円という国民の大損害に思い到らなかった点を反省しております。
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太宰 信@URAWA
Fnews-brouse 1.9(20180406) -- by Mizuno, MWE <mwe@ccsf.jp>
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