kumi fujino wrote:

>> #こんなことで話を逸らすと申し訳ないのでchatへ。


chatって話をそらしてもなんともないのですか?そうしますと、話の中身はどう
でもよく、行動の種類が「chat」といわれるようなものであれば良いわけね?

結局、あなたの言おうとしていることはfj.chatに顔を出す者はみんな馬鹿だ、
といっているも同然なですが、それでよろしいのでしょうか?(笑い)


>> 、、、の方がまだ近いかな(しかしこれもまだずれている)。
>> もっといい例えが作れますかね〜〜>どなたか


>> #って、今までも例えを挙げるほど混乱している気もするんですが。


これは「chat」送りなどする必要のないほど重要な事です。取っ掛かりはね。そ
してあなたの言う、

        「例えを挙げるほど混乱している」

は正しい読み方をしていると私も思う。で、重要な話にするかしないかは次が出
てくるか否かなのです。すなわち、議論の場において、「たとえ」はいかなる性
格を持つものか、これに言及することです。貴方はそれなりには考えた事がござ
いますか?

私見によれば、「たとえ」は議論過程において必須のものではない。単に自分の
主張や説明が相手に分かってもらえればいいというまったく「主観的」欲求から
しかも、全くの「主観的」思い込みによって題材を選択するに過ぎない。この前
半は既に多くが認めているところであって議論の中にもわずかながら現れた意見
である。

私見の結論を言えば、

     たとえで相手が納得いかない以上、相手がいかなる
     状況にあろうとも、議論上たとえを持ち出した者に
     相手が理解できない事の全責任が有る。そればかり
     ではない。つぎはぎつぎはぎの論述で有るにせよ、
     論述としては誤りであることを意味する。

     このことはまた、論述においては「たとえ」を軽々
     しく持ち出すことは厳しく警戒すべき事を意味して
     いる。

余談。wacky氏ともあろうお方が何ゆえに軽々しくしかも早期に「たとえ」を持
ち出したがるのかは今でも不明。何ゆえに、問題となっているそのの事例で他者
を論理的且つ価値的に説得しきらないのか、また、自己に向けられた意見に対し
てもそのもともとの事例で踏ん張りきれないのか、それがわたくしには今でも不
明ですね。

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Golden Cross