"Yoshitaka Ikeda" <ikeda@4bn.ne.jp> wrote in message 
news:ct3v4t$9b$1@caraway.media.kyoto-u.ac.jp...
> golden crossさんの<ct3pdf$m2c$1@news-est.ocn.ad.jp>から

> 投稿記事に持った内容を紛らわしくすることができるがゆえに、
> こういうものを排除したいという希望を述べているわけですが。
>
> fj.*でも時々、一人二役以上をして議論を誘導しようとして発覚したり、
> 反対者の名前を勝手に名乗って誘導しようとしたりという行為があったり
> するわけですが、それは記事内容に影響を及ぼそうという意図があります。

記事「内容」に影響、ですか??何がどういうことに関しどのように影響を及
ぼすか知りたいですね。わたくしが申し上げたいのは、たとえば、

        O氏が「AはXの理由でBである」という考えを述べたと
        しましょう。その時、O´氏が、O氏の成りすましで顔を
        出し、O氏の考えはすばらしい、私は大賛成です、とフ
        ォローを入れたとしましょう。

このとき、O´氏はたといO氏の成りすましであったとしても、表現としてはO
氏と別人格のO´氏なわけです。この点ではP氏、Q氏と何ら代わりがない。
表現としてはO氏以外にもう一人「AはXの理由でBである」という考えをもつ
ものがいることが明らかになっただけ。

O氏の投稿が「AはXの理由でBである」を言うものであり、この内容は動く事
がなく、O´氏が登場する前にも後にも変わることはないのです。敢えて言う
ならば、O´氏が登場して変わったことは、「AはXの理由でBである」との意見
を持つ者が、登場した人数だけを数える限りは、この時点で一人から二人に
なったというだけ。

わたくしが記事「内容」と言う場合、「AはXの理由でBである」が後にも先にも
その「内容」なのであって、一人か二人かはたまた三人かなどは記事の
「内容」などにはあたらない。100人賛成者が出ようと、「AはXの理由でB
である」がおかしければおかしいのであって、登場者の頭数で事柄の信憑性
が決まるものでもなく、単なる購読者も含めればその100人は少数者である
可能性だって有る。

> 「表現の価値は表現の中にある」
> は確かですが、それと同時に
> 「表現者の価値は表現とともにその振る舞いにもある」
> のではないかと思ってます。

ニュースグループでは「表現者の価値」を云々する場ではありません。これに
関しては、この反論が全てであります。なお、あなたは主眼としては、ニュース
グループに投稿された記事から何を得ようとされますか?登場する人物がど
んなであるかを知りたいとか?それも大いに結構でしょうね。メールでどんどん
知り合う事も可能です。しかし、ニュースグループ上のものとしては、「AはXの
理由でBである」が正しいか、あるいは妥当であるか等々に関心を持つ事で
我慢しなければならないのです。

なお、表現「者」の価値は、その振る舞いにもあることは確かでしょう。しかし、
その「振る舞い」たるや、あくまでも、ニュースグループとしては、「内容」を表
現するということのみから「評価」することに留めるのが妥当です。なぜなら、
「振る舞い」を見るといっても、当の行為者がどういう状況下でどういう理由に
基づきそのような振る舞いをしているかなどは十分には知りえないものだから
であります。それも極めて限定された評価しかなしえない。むしろ、そう考える
こと、それこそが「まともな振る舞い」とはいえまいか。また、極めて限定されて
いるという事は、そのような評価はほとんど意味をなさない事を示している。

こういうことは、何かニュースグループに関する痩せた考えをあなたが見て取
ったとしたら大きな誤解だと思う。ニュースグループは、余計な「負荷」を一切
捨象することによって、他方の、「AはXの理由でBである」にまつわる、できる
だけ多くのさまざまな考え・価値観の表出を誘い、それを情報としてできるだ
けふくよかにし、それらを利用できるようにする。

「できるだけ多くのさまざまな考え・価値観の表出を誘」うためには、事柄の
「内容」においてどの層に対しても誤解を与えるものであってはならず、且つ、
記事に対するアクセス可能性だって物理的にも心理的にも平等でなければな
らない。

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Golden Cross