<kuno@gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp> wrote in message
news:041009210255.M0180877@sma.gssm.otsuka.tsukuba.ac.jp...
> 久野です。
>
> pumpkin-soup@coral.ocn.ne.jpさん:

>   これはですね。世の中の多くの人がどうとかいう場合は「そういう
> Webページが多いかどうか」は傍証の1つになるでしょうね。で、そうい
> う傍証を多く積み上げられるものの方が相対的に説得力を増す、という
> ことでいいと思いますけどね。

しかし、久野殿、傍証はあくまでも傍証であってそれらはいくつ集まっても
やはり傍証です。英米法に言う「Half Proof」であります。

で、それを認めたうえで、そこからどうやって脱却するかを考えたときの一
つに久野殿の言われるような、「相対的な説得性の強弱」という認識の仕
方があるんだと思う。しかし、そのような規準による認識の仕方は全く持っ
て成功しているとは言いがたい。

即ち、そのような考えは言ってみれば多数決です。多数決はこれまでいく
つも失敗をしでかしているという「事実」を否定し得ないからであります。

ここにおいて重要度を益すのは、敢えて考えを起こし、或いは敢えて議論
するのは何を意図してか、という「目的性」であります。片方に多数の
half proofが現在あり、他方にたった一つのhalf proofしか現在は無かった
としましょう。もし、考えの目的が「現状維持」であったときには多数のhalf
proofに組するも何らおかしなことではないでありましょう。しかし、目的が
「現状脱却」であったときには大いに危険であります。なぜなら、現存する
half proofはこの場合必ずといっていいくらい「現状脱却」を阻止する側に
立つからであります。同じくhalf proofであるにも拘らず。

つまり、傍証の集積によりhalf proofが説得的だとする考え方は、現状に
問題ありとして改善を図り新たな方策を見つけるという目的によって規定
を受けた思考なり議論ではかえって危険をもたらし害悪をもたらすという
一般的性向がある。これが久野殿の考えには賛成しかねる理由でありま
す。所与の多数派が「新たな信頼」をもたらした場合を私は知らない。

なお、以上は、論理的に導かれたものではなく、言わば「経験則的」に導
かれたものであります。

> > 結局信頼さるべきは、投稿に於ける議論内容にかかっていることにな
> > る。ところが、その議論たるや、それぞれの価値観が反映されさまざ
> > まであってよい。ここでも結局は何も「信頼」に値するものとはなり
> > 得ないような感を呈する。
>
>   世の中は多くの人の価値観の妥協で成り立っているよね。議論の帰結
> もそういうもんじゃないかと。
>
> > だからこそ、その外形=<考え方>、呈示された考え方自体の正当性
> > に信頼のありやなしやを置くのがもっともベターなやり方ではないの
> > か、こう考えるわけでございます。
>
>   それって無矛盾な公理系を構成しているかどうか、ということですか?
>
>   公理系が無矛盾かどうかは一般に決定不能ですよね。
>
>   また無矛盾な公理系が複数あってそれらが互いに異る結論を導くこと
> もありますよね。
>
>              「正当性」を定義してみてくれます?              久野

先ず、私の意図は、「内容において」は何が正当か、或いは何が妥当か、
があいまいな中、無理にでも内容自体を云々するというやり方からは結局
は何も「信頼」に値するものは射止めがたいゆえに、寧ろ、内容とは無関
係な<仕方>を問題にすることのほうが、却って「内容」=実質の妥当性
を担保することになるのではないか、ここにfjの見識の全てを注ぐというや
り方を提唱したかったわけであります。

>              「正当性」を定義してみてくれます?

  「議論の前提と目的(*)に照らして経験則的に筋が通っていること」

               (*)したがって議論には目的が無いとする
                 立場からは、「前提」しか筋がとってい
                 るかいないかを判断する基準を持た
                 ないことになる。

以上です。

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Golden Cross