久野です。

pumpkin-soup@coral.ocn.ne.jpさん:
> 例えば、公的機関の意見だから信頼されるものとは限らない。

  まったくその通りです。

> また例えば、大学で言えば東京大学が皆さんからは最も信頼されると
> 考えておられるのかな?

  ぜーんせん。

> また例えば、「調べろ」とか、どっかのの第三者の意見を参考にせよ
> とか、「リンク」を紹介するとその記事は信憑性が増すとも思えない。
> それ等、一般的にいわれていることに対する疑念が主眼であるような
> 場合は、そんな物を引っ張り出されても意味はない。

  これはですね。世の中の多くの人がどうとかいう場合は「そういう
Webページが多いかどうか」は傍証の1つになるでしょうね。で、そうい
う傍証を多く積み上げられるものの方が相対的に説得力を増す、という
ことでいいと思いますけどね。

> 結局信頼さるべきは、投稿に於ける議論内容にかかっていることにな
> る。ところが、その議論たるや、それぞれの価値観が反映されさまざ
> まであってよい。ここでも結局は何も「信頼」に値するものとはなり
> 得ないような感を呈する。

  世の中は多くの人の価値観の妥協で成り立っているよね。議論の帰結
もそういうもんじゃないかと。

> だからこそ、その外形=<考え方>、呈示された考え方自体の正当性
> に信頼のありやなしやを置くのがもっともベターなやり方ではないの
> か、こう考えるわけでございます。

  それって無矛盾な公理系を構成しているかどうか、ということですか?

  公理系が無矛盾かどうかは一般に決定不能ですよね。

  また無矛盾な公理系が複数あってそれらが互いに異る結論を導くこと
もありますよね。

             「正当性」を定義してみてくれます?              久野