成田です。

#サーバの調子が変でずっと繋がらなかった。

おにりん wrote:

>> ローマにフェニキア語衰退の因を求めるなら、ローマ共和国によってカルタ
>> ゴが滅ぼされフェニキア人勢力の地中海世界の支配力が低下したからという
>> 方が良いような気がします。その結果相対的にギリシャ語の地位が上がった
>> ということかと。
> 
> フェニキアとギリシアだとフェニキアが古いんですよね。
> カルタゴはローマ人が農地に塩をまいたから、完全な全滅なのかな。

さらに考えたら、結局「ローマ人のギリシャ趣味」なのかも、と回帰したです。

ギリシャ語の地中海世界での普及に関してフェニキア人勢力の衰退は一つの
原因ではあったけれど、ローマ人がギリシャ文化の多くをありがたがったの
と、ローマ人がほとんど海運業そのものには興味を示さなかったのたために
ローマのその部分はギリシャ系民族の人達で賄われたってのが大きいかも。
まあ一種の必要性含めたギリシャ趣味とでも言えるでしょうか。

>> だから、直接には↓は係わらないかと。確か、通商の必要性より、ローマ人
>> はギリシャ語もフェニキア語もベラベーラのマルチリンガルだったという話
>> じゃなかったでしたっけか。だから、
> 
> はい。帝政ローマの「パンとサーカス」の時代は、ローマのコロッセウムでの
> 競技会などは、「ギリシア語とラテン語がわからない人にはよくわからない
> ものだった」というから、いまのカナダで、かならずフランス語と英語が両方
> つかわれるような状況があったんではないかな。

それなりの階級の家庭での教育項目には、ラテン語とならんでギリシャ語も
入っていたかと。

ラテン語のガリアでの重要性は、帝制以前のガリア戦役以降から飛躍的に増
大したと思います。ライン以西をローマが平らげた際にそれぞれの有力一族
の子弟を人質という形でローマに留学させた結果、ラテン語とギリシャ語は
ガリアでも有力者なら喋れるようになっちまったと考えた方が自然で、また
ローマとの関係上もラテン語の重要性は高かったはず。

で、ずっと重要性が高かったんだから当然その間に書かれた古典足りうるも
のもラテン語で著される可能性が高いわけで、結果ラテン語の古典での重要
性は古くからあったはず。

#そう欲したわけじゃなかろうけれど、ガリア戦記なんぞはみごとなラテン語
#の古典なわけで。

ただし、ローマの衰亡とともに一時的にラテン語の地位が下がったりしてた
けれど、フランク王国での古典復興運動で古典でのラテン語の地位を復活さ
せ、以後、「古典足らんと欲すならラテン語でなきゃぁねぇ」な雰囲気にな
ったとか。(^^;;

> ということで、古典ラテン語がヨーロッパで重視された時期は、ルネッサンス以
> 降、なんていうのはだめですか?

「古典作品もしくは古典作品たらんと創作されたものならばラテン語である」
となったのはいつか?という話だったんじゃ……

ずっと前の自分の記事を読んで、まずい表現があったのでついでにフォロー。

Message-ID: <ch19ok$1llu$1@newsnnrp00.cwidc.net> で、
        :
> 順当に考えると分裂前フランク王国末期の古典復興(八世紀)辺りなんでしょ
> うか。で、↓に繋がる。;-)
> 
>> スコラ学派の成立を待つことになる?
>
> # ま、良くわからん。戯言かも。教えて偉い人!?

と私は書きましたが、これでは引用した鬼塚さんに対して「戯言」と言って
いるように読めなくもないでした。本意は「私の書いている部分が戯言」で
すので。

#来週いっぱいで会社のNetNewsサービスが停止してしまうそうなんで、そ
#の前に訂正できて良かった。危うく発つ鳥、後を濁すところだった。(^^;;

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        「十分間で決断し、短い理由を添えよ」
        A.I.Soft, Inc. CS・品質推進課 成田隆興