! "<407806c1$0$19847$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sat, 10 Apr 2004 23:37:52 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> 1.A氏は煙草をポイ捨てする
> 2.B氏は空き缶をポイ捨てする
> 3.B氏は1についてA氏を批判する

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c55s3l$4rm$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> それでありながら「この話においては石
>>> ころの入っていない味噌汁を考えてはならない」なんて妙チクリンな前提だっ
>>> たのなら予め言われなければ分かりませんよ。

>> つまり、ある特定の味噌汁を対象にして話を作っていて、その味噌汁に石ころ
>> が入ってるって話です。

> 普通の味噌汁にはそんなものは入っていないよね。違いますか?

そうですね。
そしてこの話に出てくるのは、普通でない、ある特定の味噌汁だけです。

>> だから、省略しても、その特定の味噌汁を指してることは分かるだろうから、
>> 混乱が起きない。

> 省略したら「普通の味噌汁」と区別がつきませんね。

だから、「普通の味噌汁」が話の中に出てくるようなら、省略すると混乱するっ
て言ってるじゃないですか。
それまでは混乱しないですよね、普通。

> =====

>> 独立かどうかと対等かどうかってのは全然別の概念ですね。
>> 相互作用しているオブジェクトを対等に扱うってのは普通のことだし、その相
>> 互作用がたまたま一方的なものだとしても、対等でないかのように扱う必然性
>> はないよね。

> 対等な相互作用であれば対等に扱ったって構わんですが、「相互作用が一方
> 的」なのに対等だってのはオカシナ話ですね。それらには少なくとも共生と寄
> 生程度の違いは存在するのではありませんか。

10の影響に対して1の影響が返ってくる場合は対等と言うんですか?
それとも10の影響を与え合う相互作用でなけりゃ対等と言わない?
それを、10の影響に対して9の影響が返ってくる場合を積極的に区別する意味
がある?

> 前提と結論は対等ではないし、状況と行為も対等ではない。当たり前の話。

そんなのは、3つの行為が対等かどうかとは関係ないですね。

まあいいや。「対等」という言葉の意味で手間取ってもしょうがない。

A: 石ころ
B: わかめ
C: 豆腐

として、A, B, Cの順番で作成中の味噌汁に放り込まれたとしましょう。
これだと、上記の1, 2, 3の行為がその順番で行なわれたのと完全にパラレル
だよね。

で、
・「AとBが放り込まれた」という状況でCが放り込まれた。
・「1と2が行なわれた」という状況で3が行なわれた。
というのが対応するのは分かるよね?
だから、当然、問題となってる評価の対象は、
・「AとBが放り込まれた」という状況で放り込まれたC
・「1と2が行なわれた」という状況で行なわれた3
という対応になる。
つまり、そのような状況の中の豆腐と、そのような状況の中の批判が対応する
わけ。

理解できる?

> =====

>> そう。だから、それに、行為の悪さを認識してるという状況が付け加われば、
>> 「棚に上げてる」という状態になるわけですね。

> だ〜か〜ら〜、^_^;
> 1と2だけじゃあ「行為の悪さを認識してるという状況が付け加わっている」
> なんてことは言えないでしょ。しかし、少なくとも3の時点では「認識して
> る」ことが明らかです。無論、行為として表れる以前に認識があるだろうこと
> は当然ですが、それが何時だったかなんて決定しようもないことを「あ〜だっ
> たかもしれない、こ〜だったかも」なんて駄々を捏ねたって何の意味もないで
> しょ。

つまり、ばれなきゃ問題ないわけだ。

で、結局、何故私が状況と行為を混同してるように見えたのかは、説明できそ
うにないんですね。

> =====

>> だから、「自己棚上げの批判」はある状況の豆腐に対応してるわけ。

> 違うって。豆腐なんてものは石ころと対等な程度の小行為に過ぎません。

自分で対応させてたじゃん。

<406ee429$1$19850$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>
| 繰り返しますが「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判という行
| 為」ですね。

に対応するのが、

<40715e91$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>:
| まあ、「味噌汁に石ころが混入しているという状況に
| おける豆腐」ぐらいならオッケーかもしれません。

だって言ってるんでしょ?
この対応が違うってのなら、ちゃんと解説してください。

> 「3.B氏は1についてA氏を批判する」は「1.A氏は煙草をポイ捨てする」
> を前提にしていることが明らかですので単なる「組み合わせ」などではありま
> せん。

「1と2と3が行なわれた」というのが全体の状況ですね。
組み合わせという言葉が理解できないのなら、こっちの表現でいいです。

> 当該問題は、「1と2の状況における3」という全体の状況なわけです。

いいえ。それは状況ではなく行為です。
もちろん、「1と2と3が行なわれた」というのは、時系列から考えて、「1と2
が行なわれたという状況で3が行なわれた」と書くことはできます。
しかし、普通は「1と2の状況における3」というのは、「1と2が行なわれたと
いう状況で行なわれた3」という行為のことを指します。

もちろん、行為の評価として対象になり得るのは、「1と2が行なわれたという
状況で行なわれた3」という行為であって、「1と2が行なわれたという状況で3
が行なわれた」という状況ではありません。

> =====

>>> ・「自己棚上げな批判」あるいは「1と2の状況での3」という大行為は「批
>>>  判(何事かを述べ伝えると言う具体的行為のみ)」という小行為のカテゴリに
>>>  は入らない
>> 
>> これは意味不明です。
>> 1と2と3を小行為とする大行為は、普通に考えて有り得ないですよね?
>> じゃあ、何をもって大行為と言ってるんでしょう?

> 「1と2の状況下での3→自己棚上げな批判」こそが大行為ですね。単なる3
> はこの場合小行為に過ぎないでしょう。

その大行為は、他にどんな小行為からなるんでしょうか?

他に小行為がないとしたら、その大行為と小行為はどのように区別するんでしょ
うか?
小行為の方も、その特定の状況下で行なわれることは間違いないんで、「1と2
が行なわれたという状況で行なわれた3」に違いないですよね。

しかも、上では「1と2の状況における3」を状況と書いて、ここでは行為と書
いてるようですが、一体どっちなんでしょう?

> #となると、1と2は小々行為と呼ぶべきか…

小々行為ってのは小行為の小行為ですか?
一体どんな小行為の小行為なんでしょう?

>> さらに、「1と2の状況での3」ってのがであることを一
>> 旦は理解したようですが、もう忘れちゃいました?

なんだよ、この改竄引用は。

> 更にも何も…。(-_-;
> それを評価しろよと口を酸っぱくしてだな…

意味不明。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK