! "<4074961c$0$19837$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Thu, 08 Apr 2004 09:01:17 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> 1.A氏は煙草をポイ捨てする
> 2.B氏は空き缶をポイ捨てする
> 3.B氏は1についてA氏を批判する

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c50i99$dpv$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 「世の中には石ころの入った駄目な味噌汁しか存在しない」なんて妙チクリン
>>> な前提が「普通に分かる」わけがないでしょう。
>> 
>> またまた妙な拡大解釈をしてるようですが、「世の中には」ではなく「この話
>> 題には」です。

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c3u89v$ile$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
> $味噌汁の中に石ころが入っていたら、その味噌汁は駄目な味噌汁です。

> なんだから、当然「世の中には石ころの入っている味噌汁と入っていない味噌
> 汁がある」というのが背景なわけで、

そうですね。

> それでありながら「この話においては石
> ころの入っていない味噌汁を考えてはならない」なんて妙チクリンな前提だっ
> たのなら予め言われなければ分かりませんよ。

またまた妄想的拡大解釈をしてますが、「考えてはならない」なんて誰も言っ
てません。単にその時点で話題に出てきてないだけです。
つまり、ある特定の味噌汁を対象にして話を作っていて、その味噌汁に石ころ
が入ってるって話です。
だから、省略しても、その特定の味噌汁を指してることは分かるだろうから、
混乱が起きない。
# まあ、自発的に混乱するのはしょうがないけど ;p

で、「石ころの入っていない味噌汁」を考えたいのなら、それはそれでいいけ
ど、そのときは、ちゃんと区別しないと混乱するでしょうね。
それだけの話でしょ?

> =====

>> 「××の状況での○○」というのと「行為の組み合わせ」をちょこちょこ混同
>> してるからですね。

> 混同しているのはKGK氏でしょう。

いいえ。

> 明らかな関係性が存在する、つまり独立ではない複数の行為(ある行為の結果
> が他の行為の状況となるわけだね)を、あたかも「対等で並列な関係」である
> かのように強弁しているのは…。

# 並列だとは一言も言ってないよね。

独立かどうかと対等かどうかってのは全然別の概念ですね。
相互作用しているオブジェクトを対等に扱うってのは普通のことだし、その相
互作用がたまたま一方的なものだとしても、対等でないかのように扱う必然性
はないよね。

>>> ひょっとして、「自己棚上げ」という状況と「自己棚上げな批判」という行為
>>> の違いが区別できていないのでしょうか?
>> 
>> 「自己棚上げ」という状況を指すのに、「棚に上げてる」と表現してるだけの
>> 話ですが、何か問題でも?

> 状況と行為の区別ができていないのでは?と指摘しているのですよ。

だから、何でそんな疑問がでてくるのかが、さっぱり分からないんですが。

>>> 1と2だけの状況において「ポイ捨てを悪いと思っていない」場合には自己棚
>>> 上げにはなりません。少なくともポイ捨という行為の悪さを一般論として認識
>>> した上で
>> 
>> ここまでで充分じゃん。
>> ポイ捨てという行為の悪さを認識した上でポイ捨てを続ける。
>> これだけで、「棚に上げてる」と言えますね。

> だからさ、1と2だけじゃあ「行為の悪さを認識」してるなんてことは言えな
> いでしょ。

そう。だから、それに、行為の悪さを認識してるという状況が付け加われば、
「棚に上げてる」という状態になるわけですね。
で、外からそれが判断できるとは限らないけど、本人が何等かのきっかけで行
為の悪さを認識すれば、そこから棚上げの状態が始まるわけです。

その状態で批判すれば、単に棚に上げてることがばれるかもしれないってだけ
の話ですね。

> =====

>>> 「有毒」とか「水溶性」とかが「1と2の状況下での3」における何に対応す
>>> るのかがサッパリ理解できません。
>> 
>> それは具体的な対応物があるわけじゃないです。考え方の問題ですから。
>> 要は、影響を具体的に考えなけりゃ、豆腐が駄目かどうか判断できないってこ
>> と。

> 「具体的に考えなけりゃ判断できない」のに「具体的な対応物があるわけじゃ
> ない」んじゃ何の意味もないじゃん。

だから、考え方の問題だってば。具体的な対応物がないと考え方を適用できな
いんですか?

例えば、「人が目の前にいる」という状況で「アクセルを踏む」という行為を
行なえば、その人を轢くことになるでしょう。
状況がダイレクトに行為の効果に影響を与える例ですね。

で、1と2の状況が3の行為の効果にどのような影響を与えるかってのが問題な
わけ。

そういうことを、
>> だから、何度も言ってるように、どのようなメカニズムでどのような影響がど
>> の程度起こるかをちゃんと見なけりゃだめなわけ。
と表現してるんですが、理解できます?

>> 一応厳密に言っとくと、「味噌汁に石ころが混入しているという状況における
>> その味噌汁の中の豆腐」ですね。

> だから、何でそうも豆腐にこだわるかな。^_^;

また後退してますね。
「自己棚上げの批判」が、

<c4rad3$sag$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>:
| 繰り返しますが「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判という行
| 為」ですね。

というものであって、それが、

>>> 「味噌汁に石ころが混入しているという状況に
>>> おける豆腐」ぐらいならオッケーかもしれません。

に対応してることを理解したんでしょ?
だから、「自己棚上げの批判」はある状況の豆腐に対応してるわけ。

> KGK氏の喩の問題点は「豆腐は石の入った味噌汁から取り出すことができるけ
> れど、自己棚上げな批判を自己棚上げと批判に分けることはできない」ってこ
> とです。石ころと豆腐は「(行為の)組み合わせ」だけど、自己棚上げと批判は
> 「(行為の)組み合わせ」じゃあない。それは「状況と行為」です。
> だから、そもそも喩の根本からオカシイわけですよ。

いいえ。
その味噌汁が石ころと豆腐とその他のものを組み合わせたものであるように、
当該問題は、1と2と3を組み合わせたものが全体の状況なわけ。
自己棚上げを批判を組み合わせるように喩えを作ったりはしてません。

>> ! "<40715e90$0$19835$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>>>> 「組み合わせ」ってのは、例えば、マッチポンプのように、二つ以上の小行為
>>>> を対等に並べたものを指しています。

>>> 普通は直列に並んだ事柄を対等とは言いませんよ。
>> 
>> ある大行為に対する小行為という意味では対等です。
>> # 普通の言葉でいうと、ある行為に対する手段という意味で対等です。

> であれば、1と2は対等と言えるがそれらと3はそうではない。ということが
> 分かるよね。

1と2を小行為とする大行為があるとでも言うつもりですか?

>> それにそもそも、「小行為への評価」ってのは「手段の評価」なわけ。
>> 行為の評価をするのに、目的、手段、結果の評価をそれぞれすべきだってのは
>> 何度も言ってるよね?

> だ〜か〜ら〜、^_^;
> 「自己棚上げは駄目」と認めているのに、そんな小行為への評価にこだわり続
> けて大行為への評価を妨害するってのは無意味だし有害でしょ。

誰が妨害してるんでしょう?

> #そんなものが問題ないか否かなんてどうでも良いことでしょうに…。

いいえ。手段の評価がなければ行為の評価は完成しません。
マッチポンプの場合は、例えば、
目的: 善人として目立つ
手段: 「放火」したのちに「消火」する
結果: 家屋が半焼
というようなものですね。
# もちろん、手段を目的に含めるような愚かなことはしません。

で、目的の評価は、「悪くはないが非常によいわけではない」。
手段の評価は、まず「放火は非常に悪い」、「消火はよい」ときて、「放火の
悪さが消火のよさをはるかに上回る」ということで、手段の総合評価は「非常
に悪い」となります。
結果は、「非常に悪い」でいいですよね。

というわけで、マッチポンプの総合評価が「非常に悪い」というものになるわ
け。

もし、一つの手段のよさが他の手段の悪さを圧倒していて、結果も悪くなけれ
ば、評価は逆転するかもしれませんが、マッチポンプの場合では有り得ないで
しょうね。

>> で、「マッチポンプ」自体は、消火という行為のカテゴリには入りません。
>> 味噌汁が豆腐のカテゴリに入らないのと同じことです。

> 厳密に言えば「マッチポンプ」自体は状況に過ぎないので評価するのであれば
> 「マッチポンプな行為」でしょうね。

まあ、マッチポンプという行為でもいいとは思うけど、どっちでもいいや。

> そして、
> ・「マッチポンプな行為」という大行為は「消火」という小行為のカテゴリに
>  は入らない
> ・味噌汁という大行為は豆腐という小行為のカテゴリには入らない

ここまではいいとして、

> ・「自己棚上げな批判」あるいは「1と2の状況での3」という大行為は「批
>  判(何事かを述べ伝えると言う具体的行為のみ)」という小行為のカテゴリに
>  は入らない

これは意味不明です。
1と2と3を小行為とする大行為は、普通に考えて有り得ないですよね?
じゃあ、何をもって大行為と言ってるんでしょう?

さらに、「1と2の状況での3」ってのが「味噌汁の中の豆腐」であることを一
旦は理解したようですが、もう忘れちゃいました?
-- 
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK