"M_SHIRAISHI"さん <eurms@apionet.or.jp> wrote in message
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> > 《国民は豊かになっており、ひとり立ち可能の状態》
> >
> > ここが昔と現在社会の決定的違いでしょう。
>
>
> そりゃ〜、江戸時代とか明治時代とかと比較したならば、
> 日本の国民は「総体的に」豊かになったのは間違い無い。
>
> しかし、貧富の格差は大きいし、また、一般的生活水準
> が高くなっただけに、公的扶助なくしては生活が成り
> 立たない家庭は、今日の日本にあっても、決して少なく
> は無い。
> # 交通事故にでも遭遇して、自分が寝たきりの障害者
> になった場合のことを想像してみるがよかろう。
>
> そのような「貧しい人々」にも、しかし、≪生存権≫
> というものがある。

それはそのとおり。
近代社会において生存権は保障されて当たり前です。

> 公的扶助/社会保障を少なくすること --- いわんや、
> それを全廃すること --- は、それらの人々の生存権
> を侵害することである。

さて、直ちにそうなるでしょうか?

おっしゃる様に、近代社会において生存権を侵害してよいはずがありません。
この点は全く同意権です。

したがって、そのようにならないようすることは当たり前のことですね。

ぼくが主張していることは、
『まず景気を良くし失業率ゼロ状態を目指すことが必要。
『それにより貧者の数はうんと減る。』
と言っているわけです。

貧者が減れば徐々に公的扶助は削減できるのでは?
また、将来、ボランティア組織がしっかり確立され国民の自助努力で生活困窮者の保
護がしっかり確実にできるような体制が確立されたなら、国の公的扶助は『それらボ
ランティアに対する補助』に切り替えることで、『直接的な国民への公的扶助は廃止
可能になる』でしょう?

と言っているわけです。
だから、白石さんの主張と矛盾するものではありません。

『生存権を保障しろ』
と言う主張は正しく『そうできます』と言っております。


> 生存権を奪うようなことをすれば、暴動が起こること
> は、歴史が証明している。

『近代国家において生存権は保障されて当たり前』と言う認識は共通のものです。
この『”歴史の証明”を否定してはいない』ことをお分かりいただけたでしょうか?

生存権を保障するに国が直接手出しして行うことが正しいのかどうかの問題です。
要するに手段の問題でしょうか。
国が直接手出しして生存権を保障しようとすることが手段として正しいのかどうかで
す。

負担を上げれば景気が悪くなりかえって貧者を大発生させているでしょう?

まず、負担を下げ失業率ゼロを目指せと主張しているわけです。
そうすれば、
『国が救わなくとも企業が仕事を出し救ってくれる。』
『給料を上げ国民を豊かにしてくれる。』
『パートも派遣社員も正社員に格上げしてくれる。』
『年寄りにも、体の不自由な方にも仕事を出してくれる。』

『貧者の数が少なくできる』
『これにより公的扶助も削減できますます負担を軽くできる、ますます景気は良くな
る。』
と主張しているわけです。