In article <biel13$hti$1@ns.src.ricoh.co.jp> ohta@src.ricoh.co.jp writes:
>> どこに問題があるのかな、と考えてみたのですが、
>> もしかしたら、
>>        現在とその電車とのあいだに
>>        自分にとって興味や選択の対象となるような
>>        ほかの電車が存在しない
>> という表現のニュアンスの問題なのかな、と思うのです。
>そういう前提で考えてみますね。
>> この内容から、太田さんの感覚では、ストレートに、
>> 「先発/次発」という語彙で表現できるような意味で
>> 「ほかの電車が存在しない」という状況に結びつくようですが、
>これはそうでもないのです。
(以下略)
おっしゃることは解るのですが、
どうも、このあたりの「程度問題」に「深刻な差異」があるように思えるのです。
「有るのか無いのか」という二分論としては「有る」で意見が一致するし、
「90%」は「100%」に近く、「10%」は「0%」に近いということも異論なし。
でも間で大部分を占める「20%〜80%」の範囲が
どちらかというところで意見が別れるという、
そういう雰囲気とでも表現すれば良いのでしょうか。

で、その「程度問題」を支配しているのが
>> 結局のところ、太田さんの感覚と私の感覚の本質的な違いは
>> >> 私の感覚では「こんどの電車」という表現は
>> >> ちっとも「ダイレクト」ではないんですね。
>> >> ボヤかして曖昧に表現しているような雰囲気があります。
>> >そうですか。そこはだいぶ違う...。
>> というところなのではないか、
>> という気がしてくるのです。
>これはあるかもしれません。
という論点なのではないかと考えているのです。

>> >> 「こんどの電車(=いま入ってきた電車)は○○行きだ」だと、
>> >> 目前に居る「強烈に“現在”に属する」電車を話題にしているわけですから、
>> >> それ以外のものを「こんど」と呼ぶのには抵抗があるのです。
>> という感覚にしても、前提条件として
>> 「こんど」というのは曖昧な表現だという感覚があるんだと思います。
>> だからこそ、話者が意識している「こんど」の基準たるべき、
>> 話者の意識の中における“現在”を、
>> 積極的に共有しようという意識が働くわけです。
>> そして、その共有意識を裏切るような用法には
>> 抵抗を感じるということなのではないでしょうか。
>「共有意識を裏切るような用法」というのがちょっとわ
>かりません。
つまりですね……

「こんど」が曖昧な表現であるということは、「こんどの電車」という表現に
「デフォルトの意味」が定められていないということになるのです。
ですから、聞き手は、話者の意識する「こんどの電車」とは
一体何なのだろうかということを、話者の文脈から読み取ろうとする。
読み取らなければ、話者の発語が全く理解不能になるからです。
私の「こんど」という用語に対する態度を分析してみると、
このようにして、文脈から話者の意識する「現在」感を共有し、
その共有した感覚に基づいて「こんど」を理解しようとしていると思うのです。
この態度を「共有意識」と呼んでいるのです。

そこで、
In article <bhsnnl$95t$1@bluegill.lbm.go.jp> I write:
>だから、「いま入ってきたのはこんどの電車かな?」だと、
という発語を考えてみると、
「いま入ってきた」という「強烈に“現在”に属する」電車を
話題にしているという文脈から、話者の意識している「現在」は、
その「いま入ってきた電車」であることが期待され、
「こんどの電車」は、その「いま入ってきた電車」であると判断されるのです。
そして、その判断と異なるものを「こんど」と指し示すことは、
「共有意識を裏切る」行為となり、
>「“いま入ってきた”のだから、それが“こんど”なのは
>“定義により自明”じゃないか」という気分になってしまう。
ということになるわけです。

>「いま入ってきたのは、こんど出る電車かな?」だと、
>意味は明らかだけど、不自然に感じます。
>それは、「強烈に“現在”に属する」電車が話題になっている状況では、
>「こんど出る」というのが明白に「未来」に属するからではないかと思います。
についても、
この文脈では「話者の意識する現在」=「いま入ってきた電車」なので、
「こんどの電車」=「いま入ってきた電車」と判断されるのです。
すると「こんどの電車」≠「こんど出る電車」になってしまう。
「≠」は「こんど出る電車」が話者の意識する「現在」では無いということです。
今の場合は「未来」ですね。
つまり「こんど」を「話者の意識における未来」に使うことになって、
違和感を感じるということなのではないかと考えているのです。

                                戸田 孝@滋賀県立琵琶湖博物館
                                 toda@lbm.go.jp