! "<3f0703ad$0$260$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 06 Jul 2003 01:59:31 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<be67a5$o52$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> その状況を「正当防衛」と判断されるわけ。

> はい。
> 言い換えれば「正当防衛と判断される状況下で人を殺した」わけですね。

こう言い換えることができるという話と、

>>> 繰り返しますが、
>>> 「正当防衛」は殺人が行われた状況に過ぎません。

という話は別物ですね。
「言い換えることができる」ということだけでは「過ぎません」は言えません。

>> 殺人の目的が「自分が助かること」であるから正当防衛と看倣されるので、目
>> 的と密接にからんだ話ですね。

> この場合は目的ですが「目的か否か」に意味はないでしょう。

行為を目的、手段、結果以外の何で評価するんですか?

> で、他人の家に火を放つことの不当性と自分が消火によって快感を得ることの
> 正当性を状況を鑑みて秤にかけた結果、不当な行為であると認定されるわけで
> すよ。

それで不当な行為であると認定されるのは「放火」の方ですね。
# 実際、「消火」で裁かれるわけじゃないし。

>> つまり、「半鐘を叩いた」というのは減刑のネタになるようなことだって話。
>> 間違った行為は減刑のネタにはならないでしょうね。

> #KGK氏としては、ここは「何で二つの行為を結び付けるんだ」と憤る場面で
> #はないんですか?

自分が火をつけた結果として起こった災害を半鐘を鳴らしたことによって軽微
なものに留めたってことですね。
放火の評価に放火の結果が関係するのは当然でしょう。

> つまり、「罪は罪として罰され、半鐘を鳴らしたことについては賞賛された」
> わけじゃないよね。

少なくとも、「間違った行為」とは認識されてないって話です。
wacky氏は「間違った行為」と思ってるんでしょ?

>>>>>> 「消火」と「消火に見える行為」は別物でしょうけどね。
>>>> 
>>>>> つまり「(善意からの)消火」と「(善意からの)消火に見える(けどそうではな
>>>>> い)行為」は別物であって「消火は消火」ではないってことです。

>> 「(善意からの)消火に見える(けどそうではない)行為」の「そうではない」と
>> いうのは修飾の仕方があいまいで、「消火でない」という意味と「善意ではな
>> い」という意味のどちらにも取れます。

> なるほど。それは気付かなかったな。
> 勿論「善意でない」という意味です。

という意味では、私の主張は、
・「消火」と「消火に見える行為」は別物
・「善意からの消火」と「善意からに見える消火」はどちらも「消火」
で、全然矛盾はないです。

> たとえばね、ある人が「炎の中から赤ん坊を救い出したスーパーヒーロー」の
> 記事を新聞で読んだとします。当然賞賛しますよね。しかし後日「堕ちたヒー
> ロー」の見出しが踊る事にになる。実はその火事は彼が注目されたいが為に自
> ら火を放った結果だったわけです。さて、それでもその人は「他人の財産を灰
> に帰し、赤子の命を危険に晒してまでヒーローになろうとした行為」を賞賛し
> 続けるでしょうか?

いみじくも「堕ちたヒーロー」と表現されている通りに、人の評価としては地
に堕ちるでしょう。
しかし、「赤ん坊を救い出すのは間違った行為であって、赤ん坊は放置すべき
だった」という人は、おそらくいないでしょう。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK