A-11さんの<20040119125709.51fb7ad6.st8101@stex.phys.tohoku.ac.jp>から
>議決をとれば、必ず賛成と反対がでるだろう。
>
>議長「アメリカ攻撃に付いての議決をとります。」
>賛成する人と反対する人がでる。
>議長「価値相対主義によりどちらの意見も尊重して、アメリカに侵略軍と対日抵抗軍を送ります。」
>こうしてアメリカ大陸で日本人同士が殺し合うのだ。
>どちらかの意見を殺すべきだったのだ。
>
>一個の国家である以上どんな主義をとっても
>相反する価値を同時に採用する事はできない。
>さもなくば
>価値絶対主義より酷い目に国民は遭うだろう。

これ例のどこが価値相対主義なんですか?

・二値論、イエスかノウ、右か左か、生きるか死ぬか、ニ値以外に選択肢がな
いというのは異常ですね。ほかのどういう意見を黙殺したのですか。考えもし
なかったのですか。

・攻撃すべきというのは、どいういう原理で価値を導出してるのですか。なに
か、イデオロギーでも?あるいは宗教的な原理でも?

・抗日という判断は、どういう原理で価値を導出してるのですか?

・国家の意思決定が、二分するような価値観の相違に対して、一票差でも勝っ
たからこれで決まりだ、従え。これはファシズムです。

・裸の人間が持つ、思想の自由や言論の自由やその他すべての裸の人間が持
つ基本的人権に従った価値判断はどちらなんですか。はたして、基本的人権を
敷衍してるのですか。

・賛成、反対が、国民の思想信条の自由を保障した環境でなされているのです
か?

・狼が目前にいてわが子を襲おうとしているなら、母親は髪を逆立てて棒を
持ってたたきつけようと形相をするでしょうね。暴力は、この暴力は肯定す
る。アメリカが、狼として何をしたのですか、しようとするするのですか?大
量破壊兵器を持っているということにして、先制攻撃をしておくんですか?

・価値相対主義というのは、民主集中制ではない。決まっても反対する人間は
反対するだろうし、それが、すべての裸の人間にある基本的人権でなくて限定
的な(所有物のような)権利なら、公共の福祉というみんなの利益に反するな
ら制限を余儀なくされることもある。しかし、すべての裸の人間が持っている
基本的人権ならば抑圧してはならない。反対者がいても、逮捕監禁拷問処刑に
は当たらない。

・君と僕との考えが違う。互いの情緒が違うからね。ファシズムの思考をする
ものもいるだろう。だが、その思考をする人間が、完全情報公開に近いところ
で、思想信条言論表現の自由を保障された身分で、主体的に、責任を持ってお
いて選択するなら、立法機関で採決した結果は、立法として妥当なものだ。そ
れが、対米国開戦というなら、そういう現実も例としては仮定できる。
国会議員の採決は言うまでもないが、選挙でいうなら、あくまで個人が、責
任ある主体的選択をすることが前提だ。教祖に言われたからとか、教団に支持
されたからとか、政権を維持したいから尻尾を振るとか、そのような態度は責
任ある、主体的選択とはいえない。そのような選挙で行った議決が、主体的選
択を、責任を持って行われたとするのは妥当ではない。
日本は今、こういう妥当でない似非民主主義議会により成り立っている。

この議会で改憲では国民は救われないね。

・何を選ぼうが自由だ。主体的選択を、責任ある態度で行う限りは。
独占禁止法に引っかかるような行いを自社の利益になるからといって選択して
も、主体的選択であっても、責任ある態度ではない。民主主義は近代市民法体
制で確立した啓蒙思想、基本的人権を基調とした責任でなくてはならない。ホ
ロコーストを責任ある選択ともしない。

・ヒットラーの台頭はなぜおこったか。いかなる思想の自由も認めたからか。
そうではない。思想信条の自由を制限したのでは、人間の基本的人権は全体と
して損なわれることになる。だが、ドイツ国民は、果たして、主体的選択を責
任をもってしたのか、答えはノー。ナチスの恐怖、国粋主義、基本的人権の無
視。われよしならばそれでよいとする態度は責任ある態度ではない。思想信条
の自由はこれを制限してはならない。責められるべきは良心において責任あ
る選択をしなかったことだ。

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今のわが国はどうか。
・改憲、イラク派兵、家産官僚機構改定運動のなさ、マスコミ、評論家の、イ
ケイケコーコー。トヨタがアメリカで利益を上げてもたたかれないのはイラク
に派兵したおかげだと胸を張る中東のあほ大使。
国益=国家利益として、それを優先するというが、国民の利益=国家利益では
ない。血を流すのは国民。それじゃ自動車さえ売れれば日本軍隊は血を流す
べきなのか。

・価値相対主義とは、価値一元論に対極をなす。民主主義は、多数決という皮
のに下に、「すべての裸の人間が所有する基本的人権」への徹底的尊重と、主
体的選択、それも、責任をもって行うことを旨としなければ民主主義ではな
い。