# もうprogrammingじゃないんで、フォロー先はfj.soc.misc。

Thu, 24 Feb 2005 03:40:45 +0900,
in the message, <opsmnx57nae5o5lm@news.media.kyoto-u.ac.jp>,
神戸隆行 <kando@nerimadors.or.jp> wrote
>よそはどういう形で発明の範囲を定めていますのでしょうか?

判例とか所管庁の策定する基準とかです。

例えば米国特許法には、
「The term "invension" means invension or deiscavary.」
「この法律で『発明』とは発明ないし発見を言う。」
という禅問答のような規定しかありません。

>実施規則やガイドラインみたいなものを別途作ってる?

日本においても「審査基準」というのを作っているわけで、法令中に抽象的な
定義規定を入れても入れなくても結局は、具体的判断基準は別途必要になりま
す。

>最近は内容が発明かどうか多少は見てるような話も聞きましたが…

無審査主義の国というのは先進国にはもはやないんじゃないですかねぇ?

# 無審査と言っても、申請の形式審査はする。

この点について連邦最高裁かなんかの(巡回裁判所か?)判例があったはずな
のですが、ちょっと調べる暇がないのでまたいずれ。

>> 「特に」という面はあるかもしれませんが、ソフトウェアに限らず特許が審査
>> 官によってブレがあるというのは、やはり特許申請者側にしてみれば頭痛の種
>> のようで。
>> ただ、じゃあどうすんのさ?って言えば結局は、「審査官の質を向上するしか
>> ない」でしょう。
>> でも、そういうところに金と労力を割かないのが「日の丸流」。:-P
>
>でも技術的内容が理解できていないとかでなく
>ポリシ的な部分があるようですし、審査官は単なる上意下達ではなく
>独立した判断を下すように定められていると聞きました。

審判などは準司法手続きとも言われるところで、裁判官同様の独立性が認めら
れているということかも知れません。
でも単に独立した判断をするという話であれば、裁判官も検察官も実は同じ。

>#検察一体の原則がある検察庁とは対照的ですね。

検察官も「独任制の官庁」
(「検察官」という名前の一つの行政庁であり、一人の検察官が一つの行政庁
 であるということ。
 行政法をやっていない人間にはちょっと解り難いかも。)
で各検察官は独立して権限を行使しその効果は確定的です
(ちなみに裁判官は違います。
 検察官などの行政庁と同列比較ができるのは「裁判所」。
 この「裁判所」は物理的な建物とか制度的な組織とかのことではない。
 抽象的観念的な国家機関であり、裁判という形式の国家としての意思決定を
 行う機関。
 この「裁判所」は一人の裁判官が構成する場合もあるので、その場合は実
 体として「裁判所=裁判官」。)。
で、独立して職権を行使する問題と組織としての統一的判断の問題は、後述。

>なので「質の向上」とも言い難い感じがします。
>やっぱりきちんと根拠を評価して皆が納得した結果として自然と一致度が上がる形でな
>いと…。

基準がしっかりしていれば、「常識的に判断すればおのずと同じような結論に
なる」はずなので、それがいかないというのは(基準がしっかりしていないの
でない限り)やはり「職業倫理も含めた意味での」「質の問題」だろうと思い
ます。

左翼活動で逮捕歴もある人間が裁判官になろうとして面接で「左翼活動家が起
訴されたときにどうしますか?」と尋かれて「法と裁判官としての良心に則っ
て裁きます」と答えたとか何とか
(で現実に裁判官になった。)。
口先だけと言われればそうかも知れないけど、職業倫理として「自分の価値観
を押し付けるのではなく」裁判官としていかなる判断をするべきなのかと考え
るのは、特許の審査官においても同様であるべきだと思います。

もっとも、裁判官にしろ検察官にしろ職権の独立性があるがゆえに統一的判断
の要請に応えるべく裁判所は最高裁をもって判断の統一を図り検察官は検察官
同一体の原則(*)で組織として判断の統一を図ることができるという点を見る
なら、確かに審判官に何らかの制度ないし組織上の意思決定の統一を図る仕組
みがあって然るべきではありますが、……ないんですかね?
検察官同一体の原則と同様の、意思決定の統一を図る原理はあると思います。
それが「どれだけまともに機能しているのかは別として」。

(*)ちなみに検察官同一体の原則には二面的な意味合いがある。
 一つは、検察庁という組織において上命下服の関係があり、検事総長を筆頭
 に部下に対する指揮監督権限を有するという組織の内部規律の面。
 もう一つは、検察官はすべて同質な官庁として、検察官の交代によって前任
 者の行為は当然に後任者の行為として引き継がれ、裁判官のように更新を必
 要としないという行為の対外的効果の面。
 もっとも裁判官における弁論の更新の制度は、裁判官の独立性と言うよりは
 直接主義の問題ではあるが、逆に「独立した裁判官として個性を問題視す
 る」からこその直接主義でありまた更新はその帰結とも言える。
 没個性的な検察官には当てはまりえない話である。

>> # 個人的にはコンピュータソフトウェアは「誠実な」産業としては成り立たな
>>  いのではないかと思っていたりしますが。
>
>その個人的な思いはどこからくるものでしょうか?

バグを仕様と言い張る辺り。(^^;
あるいは相性で済ませる辺り。
あるいはバージョンアップと称して無用な機能拡張をやる辺り
(その結果として重くなっても平気な辺り。)。

10年くらい前どこかに載っていたネタでは、「老婦人がアップルに電話して相
当古いMac(Classicか?)のソフトの不具合についていつ直るのか訪ねたとこ
ろ、もう新製品になっているからそちらを買ってくれと言われて、『でも他の
ところに不満はないの。そこだけが直ればそれで十分なの』と言ったら、アッ
プルの技術者が親切にもそこだけ直したプログラムを作ってくれた」とかなん
とか。
実際には、もしその調子でやったら商売上ったりだろうな、と思った。

>ただ傾向として現在は保護に寄り過ぎではないかと思っています。
>#特に身近な先進国である日米については。

まあこれは振り子みたいなものかなとも思うところではあります。

人権思想だって、日本ではその背景自体があまり理解されていないのでやたら
「人権屋」と言って非難しますが、欧米の人権思想につながる歴史を理解して
なお言っている人はおそらく皆無でしょう。
それでも確かに人権偏重になる部分はあるし、逆に未だ充分な保護があるとは
言えない部分もある。

そういったところは結局試行錯誤の積み重ねでやっていくしかないところ知財
関連などでは産業の発展の速度が社会制度の整備を上回っているがため充分な
検討・合意の形成といった部分が抜け落ちてある種場当り的な対応が招いた結
果が今の状況ではないかと。
だけどそれは仕方がない部分もあるし、さりとて仕方がないで放置していい訳
でもない。
だから地道に解決していくしかないでしょ、と
(まあ急進的にやってもいいんだけどさ、それもまた時と場合による。)。

>一つはネットワークの普及による知財の流通コストの低下です。
>このため流通のリスクも小さくなっているはずですから保護の必要性が減少していると
>思います
>(これは特許はあまり関係ないですが、出版、上映、利用など著作隣接権に関して感じ
>ることです。)

流通で儲けている人間もいるというのは無視できないのでしょう。

>もう一つは技術革新の速度が上がっていることです。保護期間が長すぎるかも知れませ
>ん。
>保護期間の長さが却ってブレーキを欠けているかも。

一般論としては、技術革新の速度が上れば逆に陳腐化するのが早いから保護期
間が長いことに意味はあまりないでしょう。
寿命の長い特許(に限らず知財一般。)というのはそれほど多くはないと思い
ます。

ただ、逆に寿命が長くなるような数少ない特許こそがいわゆる基本特許などき
わめて重要な特許であるわけで、保護期間の長さが効いてくるはむしろ、そう
いう方かと。

だから、応用より基本的な部分を押さえる方が重要なんでは?

>さらにもう一つは南北問題ですね。知財の経済格差です。

でもこれってよく考えると、「産業一般に当てはまる」話だと思うんですよ
ね。
もっと言えば、「経済活動一般」と言うべきか
(戦争の動機はすべて経済であるというのがあたしの持論であるが、先日見
 たのは「戦争は経済である」という標語。
 趣旨は若干違うけど、いずれ経済抜きで軋轢が生じるということはほとん
 どない。
 よく、民族主義とか宗教とかが戦争の原因みたいに言うけど、あれは原因で
 はなくてむしろ結果。
 本当は、民族とか宗教とかによる経済的待遇の格差が原因で、民族、宗教に
 関わらず同じような経済的処遇を受けておればたいした争いは起こらな
 い。)。
ヨーロッパが植民地支配を広げた時代から本質的には変わっていない。
支配の在り方というか支配の態様というかが変化しているだけ。
逆に言えば、「特定の態様の支配が終わると次の支配の態様を編出すというこ
とを繰返して知財に行き着いたところである」と。

>> 絶対舐めてると思うのは私だけではないでしょう。
>
>まぁコスト高なんでしょうね。
>広告と流通で喰ってる人間の数が多分多すぎるんでしょう。
>明らかに保護業種だし。

ただ、それを変えようって気がないというところが「舐めてる」につながるわ
けです。

# 運送業の規制の話が出るたびに「運送業者は零細企業が多く云々」って話に
 なる。
 その程度の規制でやっていけない会社は潰せという話にはならない。
 だけど、やっぱり「淘汰」は必要でしょ。
 急激に淘汰すると社会不安につながるからその点は考慮する必要があるにし
 ても、いつまでも甘やかし続けて脛を齧らせておくほど国(あるいは国民)
 の脛は太くないよ。

>好意的に解釈すれば電子媒体に移行するコストを回収しようとしてるのかなとも
>思いますが。

コスト回収なら値段を下げて発行部数を増やした方がいいんじゃないかと思う
次第。
損益分岐点が従来の書籍版を上回るとはちょっと思えない。

>印刷会社は…どうなんでしょうねぇ。

何しろ日本の産業は一蓮托生なもんでしてね。

硬直化というのは結局のところ「生活保障」という大義名分のために淘汰すべ
き産業とか企業をいつまでも存続させること
(だから日本は社会主義なんだな。
 江沢民かなんかが日本の社会主義の完成度は中国以上と評価したとかしな
 いとか。
 まあ、あそこもずいぶんいんちきな共産主義だけどね。
 あ、ちなみに共産主義=私有財産の否定と思っている厨房
 (神戸隆行 <kando@nerimadors.or.jp>さまのことではありません。)
 が世間にはいるみたいだけど、共産主義だって私有財産はあるよ。
 生産手段を公有化するだけ。
 家でコップを割ったら、「公有物を毀損したから弁償しろ」って言われると
 思う?と。)。

# 尤も何でもアメリカ流の競争至上主義がいいとは言わない。
 って言うかあれは「社会不安を増大させ治安悪化の要因になる」よ。
 アメリカ流のいわば純粋資本主義を礼賛するやつに限って、「凶悪犯罪が横
 行するアメリカ社会」という点には目を向けない。
 でもあれは表裏一体だ。

-- 
SUZUKI Wataru
mailto:szk_wataru_2003@yahoo.co.jp