だから、受け取り側もキチンと示された共通点や喩の対応を受け止める必要が
あるわけです。喩は受け取り側が「ワザとピントをずらした解釈をする」なら
幾らでも発散させることができるのですから。

Tadasuke YAMAGUCHIさんの<050103151745.M0107956@sencha.galaxy.ocn.ne.jp>から
>たとえ話って、似通った事象を持ち出して相手への理解の補助に
>するものと思っています。

理解の補助にするためには*より分かり易い*事象を持ち出す必要があります。
#より複雑な喩だったら補助にならんし。
そして似通った事象は似通った複雑さを持つことが多いわけです。従って「似
通っていない」という非難は明らかな誤りでしょう。着目している視点に限っ
て共通点がありさえすれば充分です。
#そもそも「似通っているか否か」なんて主観的判断で…

>そしてあくまでも補助として用いて、結局何が共通点であったのか、

そう。
何が共通点なのか、何が何の喩なのかが明確であれば問題ないわけです。

>議論がわき道にそれないように、本論を述べながら補足で理解の補助
>をすると思っています。
>
>それ故に、論点を明確にせず、たとえ話しかしないってのは私に
>とって誠実な対応に見えません。共通点の少ないたとえ話をされ
>ればされるほど、寧ろ乱暴にさえ見えます。
>
>ですので、たとえ話をするときの自己責任は、論点を明確にする
>よう努めることが含まれていると思っています。

Message-ID: <41d8f692$0$987$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>
#まだ不足ですか?

-- 
wacky