我々には別に「弱者を幸福にする」義務があるわけじゃあない。
弱者であろうと、そうでない者と同程度の苦痛や不快は受け入れるべきで
しょ。「弱者」は免罪符じゃないんだから。
#だから、嫌煙者であっても「禁煙場所で喫煙を我慢する喫煙者」と同程度の
#コストは負担すべきでしょう。

yamさんの<z6Yzc.104$Fd6.65@news1.dion.ne.jp>から
>"wacky" <wacky@all.at> wrote in message
>news:40d03390$1$19833$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp...
>> 一枚のパイを万人に分け与えれば餓死寸前の者は死ぬでしょう。万人が腹を減
>> らしていたとしても、パイは先ず最も困窮している一部の者に*だけ*与えられ
>> るべきでしょう。それで余っていたら初めて「万人に分け与えろ」と言えるわ
>
> 一枚のパイは万人に分け与えれば、一人あたりは少なくなりますが、
> あらゆる場所を禁煙にする事によって、一人当たりの煙被害の
> 削減量が少なくなるのでしょうかね?違いますね。

馬鹿だな。ワザワザ「あのさ、何事にもコストというものが存在することは分
かるよね?」と断っているのに「パイ」が何の喩なのか理解できないのでしょ
うか。
「あらゆる場所を禁煙にする」という巨大なコスト→パイが手に入るのであれ
ば、それはもう「万人に分け与えてありあまる状態」でしょう。
で、そのような巨大なコストは弱者にとって*どうしても必要なもの*ではあり
ません。「弱者が苦痛を免れること」と「yam氏が快適・満足すること」では
必要とされるコストは大きく異なります。
#無論ですが、後者の方が遥かに大きいでしょう。


> よって、この喩えは適当ではありません。
> つまり、こいつは、適当ではない喩えを持ち出して話を摩り替えようと
> しているわけです。

適当でないのは(他人が背負うことになる)コストを無視して(少なくとも現状
では)非現実的な前提を持ち込むことでしょう。

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wacky@「なったらいいな」ならマル、「なって当然」だと何様?ってカンジ