KGK == Keiji KOSAKAさんの<c7ifgm$6c5$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> だから、
>>>> 1. その主張が真実か嘘かにかかわらず
>>>> 2. 根拠を挙げる義務を負うことすらなく
>>>> 「癖になっている」が正しい内容の批判に従わないイイワケとして成立するわ
>>>> けでしょ。
>>> 
>>> いいえ。
>>> 単に「自分の行為を直すよりも他人の行為を直させる方が容易である」ような
>>> 例の一つだというだけのことです。
>
>> 例?KGK氏は例示などしてはいないと思いますよ。
>> 具体性も現実性もない条件を並べ立てて「例」と言われても呑めるわけがない
>> でしょう。
>
>行為全体の集合から考えれば随分具体的です。
>現実性がないってことは、悪い行為が癖になることは有り得ないって主張にな
>るわけですが、普通に考えて誤りでしょうね。

全然、そんな事にはならんと思いますが…。
wackyが指摘しているのは「自分の癖と他人の癖の修正し易さを即座に比較・
決定する手法など存在せず、批判者が恣意的かつ身勝手に決め付けているだけ
である」ってことです。


>>>> だからこそ、「何で自分自身は従ってないんですか?」と問うているわけです。
>>> 
>>> 何で私が知ってると思うんでしょう?
>
>> 私=KGK氏自身が理解できていないのであれば、そんな状態で主張すること自
>> 体に問題があります。
>
>何故でしょう?
>
>そんな理由が分からなくても、「自分自身は従ってない」ってだけで、「特別
>な理由がない限り間違った行為である」ってのは言えるわけでしょ?

ってことは、
KGK氏の主張によれば、批判者は「ポイ捨てを止める」ことに「自分自身は
従ってない」のだから「ポイ捨てを止めることは間違った行為である」と考え
ていることになる。じゃあ何で他人を批判するんでしょう?
決定的に矛盾していますね。
#だからこそ、「何で自分自身は従ってないんですか?」と問うているわけ。


>> 問題は、批判に値するような小行為の上にしか成り立たない「*自己棚上げ*で
>> 批判する」という行為を、一般化された「批判すること」に摩り替えて「正し
>> い」という評価を得ようとすることです。
>
>その場合の「小行為」は、「批判」という行為の出発点たる状況を作ってるだ
>けのことで、「批判」という行為の構成要素ではありません。
>地面がランナーの構成要素でないのと同じことです。

From: KGK == Keiji KOSAKA <kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp>
Message-ID: <c6t92e$tj1$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>
http://www.google.co.jp/groups?selm=c6t92e%24tj1%241%40film.rlss.okayama-u.ac.jp&oe=ISO-2022-JP&output=gplain
行為を評価するときに状況を評価の対象に含めることは、例えば、短距離走の
選手を評価するときに地面の状態を評価の対象に含めるのと同じことです。
地面の状態が悪ければ、その選手は遅い選手だと評価されるべきですか?

普通は、地面の状態が選手の走りに与える影響を考慮して評価します。
「この状態でこのタイムなら、速い選手だと評価できる」というふうに。
http://www.google.co.jp/groups?selm=c6t92e%24tj1%241%40film.rlss.okayama-u.ac.jp&oe=ISO-2022-JP&output=gplain

他所で言ってることと正反対ですよ。
「行為の出発点たる状況」は考慮されるべき?無視されるべき?一体どっちなんですか?

>> 本件で扱う「批判」とは「自己棚上げの批判」です。
>
>あらかじめこのような限定をするのは、評価の順番を間違っています。
>本来、素過程として起こるのは、「ポイ捨て」や「批判」などの行為です。
>そのそれぞれを評価するときに、状況からの影響を考えるのは当然ですが、状
>況は行為の構成要素ではありません。

#何か、言ってることがコロコロ変わるなぁ…。
そんなことを言い出したら結果だって行為の構成要素ではなくなってしまいま
す。恐らくは、行為と手段の切り分けができていないのではないでしょうか?

当然ながら、評価対象となる「行為」は目的・手段・結果および状況を総合的
に判断されるべきものであり、本件における具体的な状況が「自己棚上げ」で
あるわけです。

-- 
wacky