KGK == Keiji KOSAKAさんの<c40utg$unb$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bs1b09$4o8$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>> $> ふうん?
>>>> $> じゃ、具体的にどんなケースなら「自分の行為を直すよりも他人の行為を直さ
>>>> $> せる方が容易である」と言えるんですか?
>>>> $
>>>> $自分は癖になってるけど対象者はまだ癖になってないときとか、
>>>> $立場などの違いから修正が容易さに差がある場合とかですね。
>>> 
>>>> ね、「俺様は癖になっていて修正は困難だ。だから自分のことはさておいて他
>>>> 人を責めたって構わないんだ」って言ってんじゃんか。
>>> 
>>> いいえ。
>>> そこは、「自分の行為を直すよりも他人の行為を直させる方が容易である」よ
>>> うな例を挙げてるだけです。
>>> それが正しいかどうかなんて一言も触れてません。

#というか、「正しくないことを知っている」はずなんだが…

>> だから、
>> 1. その主張が真実か嘘かにかかわらず
>> 2. 根拠を挙げる義務を負うことすらなく
>> 「癖になっている」が正しい内容の批判に従わないイイワケとして成立するわ
>> けでしょ。
>
>いいえ。
>単に「自分の行為を直すよりも他人の行為を直させる方が容易である」ような
>例の一つだというだけのことです。

例?KGK氏は例示などしてはいないと思いますよ。
具体性も現実性もない条件を並べ立てて「例」と言われても呑めるわけがない
でしょう。その「例」において「(自分は癖になってるけど)対象者はまだ癖に
なってない などということがどうやって分かるのか?」という問いにすら答
えることすら出来ていないのに。


>>>>> もししてたとしても、正しい内容の主張に従わない言い訳にはなりません。
>>> 
>>>> そうだよね。その通り。
>>>> じゃあね、じゃあ何で、その批判者は自分自身の正しい内容の主張に自分自身
>>>> は従わないのかね?「従わない言い訳にはなりません」なのに。まるっきり矛
>>>> 盾してますよ。
>>> 
>>> だから、その批判者が自分自身の正しい内容の主張に従わないことは批判され
>>> て当然だってのは何度も言ってます。

>> 「正しい内容の批判に従わない言い訳にはなりません」だったのでは?
>
>そうですよ。

>> つまり、批判されるのは当然で、その上に従わなければならないわけでしょ。
>
>それ以外の何かの理由で従わなくていい場合があるかもしれません。
># ちゃんと考察してないけど。

例外的な状況があるのは当然、無い方が稀でしょう。
ただね、都合が悪くなる度に例外的事象を引っ張り出すってのは議論の発散で
しかないですね。本論に深く関わるような「従わなくていい場合」があると主
張するなら、それこそ*ちゃんと考察*した上で具体的に示しましょう。

>そういう可能性を排除しないために、
>>> だから、その批判者が自分自身の正しい内容の主張に従わないことは批判され
>>> て当然だってのは何度も言ってます。
>という言い方になってるわけ。

では、最初からそう言わずに「正しい内容の批判に従わない言い訳にはなりま
せん」と言ったのは何故でしょう?吸殻をポイ捨てする者に対しては「そうい
う可能性を排除」し、空き缶をポイ捨てする者に対してだけ「そういう可能性
を排除」しなかったのは何故ですか?


>> だからこそ、「何で自分自身は従ってないんですか?」と問うているわけです。
>
>何で私が知ってると思うんでしょう?

私=自分自身が知らないわけがないでしょう。
私=KGK氏自身が理解できていないのであれば、そんな状態で主張すること自
体に問題があります。

>それぞれに理由があるんじゃないですか?
>その理由如何では、従わないことが正当になるかも知れないけど、大抵の場合
>は不当でしょうね。
>何度もそういう内容のことを書いてきたんですが、まだ理解できませんか?

勿論、理解していますよ。
理解できないのは、KGK氏が「大抵の場合は不当」であることを理解していな
がらなお「俺様は癖になってるから」なんてイイワケにもならないイイワケを
持ち出している理由です。


>>> そして、それは、「批判すること」への批判ではありません。
>
>> もちろんそれは「*自己棚上げ*で批判すること」への批判ですよ。
>
>自己棚上げだろうがなかろうが、「批判すること」への批判ではありません。
>「その批判者が自分自身の正しい内容の主張に従わないこと」に対する批判で
>す。

もちろん、KGK氏が摩り替えているような「批判すること一般」への批判では
ありません。当然ながら、「ある特性を持つ批判(をすること)」への批判で
す。その特性が「その批判者が自分自身の正しい内容の主張に従わないこと
→自己棚上げ」であるわけですね。

結局の所、両者の考えは「その批判者が自分自身の正しい内容の主張に従わな
いことは批判に値する」という点で一致しているわけです。
問題は、批判に値するような小行為の上にしか成り立たない「*自己棚上げ*で
批判する」という行為を、一般化された「批判すること」に摩り替えて「正し
い」という評価を得ようとすることです。

本件で扱う「批判」とは「自己棚上げの批判」です。
そして、「自己棚上げの批判」を「自己棚上げ」と「批判」に分けることは出
来ません。何故なら、「自己棚上げ」は本件で扱われる特定の「批判」を構成
する主要な部分であり、それなしには本件で扱う「批判」は成り立たないから
です。
#「貧者に施す」という行為が「正しい」としても、それは「他人から盗んだ
#金を貧者に施す」ことまで肯定しているわけじゃない。分かるよね。

-- 
wacky