KGK == Keiji KOSAKAさんの<c5r2nm$vn2$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>! "<4057a0d4$0$19850$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>!     Wed, 17 Mar 2004 09:50:58 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<c33v17$90l$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> 排他的に定義したあげく、カバーできない部分ができるとしょうがないでしょ。
>
>> 何処に「カバーできない部分」なんてものが出来るんでしょうか?
>> 具体的に述べられますか?
>
>述べてるでしょ?

そのような記憶は全くありませんが?もし仮に万が一それが真実であるのなら
具体的に述べていただきたいものです。

そもそも「辞書通りの意味では義務と責任の意味が重なって*都合によってど
ちらとでも言える*状況が生じてしまう」ので、それを排除する為に再定義し
たのですよ。


>> 「義務」と「責任」の話ですよね?何か摩り替えていませんか?
>
>wacky氏の定義は、「義務は行為にかかり、責任は結果にかかる」じゃなかっ
>たんですか?

だからそれは「一般的には「責任」を「義務」の意味で使用することはありま
すが、議論として区別する以上は」でしょ。「wackyの再定義を受け入れるな
らば」という前提を無視して、自分に都合の良い部分のみを振り回すのでは最
早議論とは言えませんよ。

そして勿論、辞書的な意味に基づけば、「義務は結果(既に起こってしまった
事)にかかりようが無いけど、責任が行為にかかったって別に構わない」し、
実際にもそういうことがあるでしょう。


>>> そうじゃなきゃ、「行動するときは何も気をつけなくても、あとで責任さえ取
>>> りゃいいんだろ?」ってことになる。
>
>> 当然、その類の行為もあるわけです。
>
>例えばどんな行為ですか?

そうですねぇ。^^;
「会社のボールペンをうっかり持って帰ってしまった」とか「ボーっと歩いて
たら止めてあった自転車にぶつかって倒しちゃった」とか、あまたある些細な
事柄達がそうですね。もう少し大事になると「ある程度気をつけて結果には責
任を持つ」、原発の管理運営のような重大事なら「何が何でも悪い結果を招か
ないようにする義務を負う」となるでしょう。


>>> で、社会的な議論でしばしばでてくる「責任」ってのは「自分の行動に責任を
>>> 持つ」という文脈の「責任」が多いわけだけど、それを常に二つに分けなきゃ
>>> 表現できないってのは不便だよね。
>
>> 不便だろうと何だろうと実際に別けられるんだから別けなきゃしょうがない。
>
>「分けることが可能」であることと、「分けなきゃ表現できない」ということ
>の間には56億7千万光年ほどへだたりがあるわけですが、それを同一視する理
>由はなんでしょう?

「それは義務の話だ」「いや責任だ」なんて混ぜっ返しを防ぐことができた
り、議論中は責任で結論だけ突然義務になってしまうような摩り替えを防ぐこ
とが出来る点が便利だからですね。
#摩り替えたい人以外は誰も困らないと思うけど?


>> ただ、別け方が変な気がするな。
>> 「結果に責任を持つ」ってのは当たり前の話なのでそうでない行為は殆どあり
>> ません。
>> 1.結果に責任を持つ
>> 2.1の上に更に行動にも責任を持つ
>> という別け方が正しいでしょう。
>
>まあ、「行動に責任を持つ」という言い方をwacky氏が許容するのなら、この
>スレッドは始まってないわけで。

「再定義」という前提を無視して「前提に基づいた結論」に文句をつけている
のがこのスレッドですね。

-- 
wacky