1.A氏は煙草をポイ捨てする
2.B氏は空き缶をポイ捨てする
3.B氏は1についてA氏を批判する

KGK == Keiji KOSAKAさんの<c62uam$olh$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 「Aが存在しない限りBは存在できないがBなしでもAは存在できる」ような場合
>> は両者は対等な関係にあるとは言えない。ということです。たとえば「1.A
>> 氏は煙草をポイ捨てする」と「3.B氏は1についてA氏を批判する」の関係が
>> これにあたります。
>
>という定義からは、
>・1と2は対等
>・2と3は対等
>・1と3は対等でない
>ということになりそうですが、そういう意味?

「1と3は対等ではない」はOK。「1と2は対等」は間違いとも言えないと
いった程度かな。「同じポイ捨て」という観点からは同レベルですから「悪さ
の程度として対等」ぐらいは言えるでしょう。が、「2と3は対等」となると
もう根拠が不明ですね。「関係ないじゃん」です。


>>> A: 石ころ
>>> B: わかめ
>>> C: 豆腐
>>> 
>>> として、A, B, Cの順番で作成中の味噌汁に放り込まれたとしましょう。
>>> これだと、上記の1, 2, 3の行為がその順番で行なわれたのと完全にパラレル
>>> だよね。
>
>> 上記より否です。
>> 喩のA,B,Cは独立かつ対等な関係にありますが、行為1〜3はそうではない。
>
>じゃあ、
>A: 大豆
>B: 石ころ
>C: 豆腐
>でどう?

ああ、なるほど。^^;
「大豆に石ころが混じっいたので石ころ入り豆腐が出来ちゃった」って話なら
良く分かるし対応も取れている。豆腐(3)は大豆(1)に依存しているし、石こ
ろ(2)と切り離すことも出来ない。この豆腐であれば「1と2の状況における
3→大行為」に喩えるに足りるでしょう。
#味噌汁が要らなくなっちゃったけどね。

=====

>> いいえ、「豆腐」は「3.B氏は1についてA氏を批判する」という小行為に過
>> ぎません。そして、大行為と小行為が同じでないことに説明の必要はないで
>> しょう。

>ごく普通に解釈すれば、「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判と
>いう行為」を「味噌汁に石ころが混入しているという状況における豆腐」に対
>応させるのが「オッケーかもしれません」と言ってるわけでしょ?
>
>自分で書いたことを自分で否定するんですか?

なんでそれが「おける」やねん。豆腐は単に味噌汁に*入っているだけ*で
しょ。もちろんwackyは「自分がポイ捨てをしたという*状況*における批判→
自己棚上げの批判(大行為)の中の批判(小行為)」に対応させるのがオッケーだ
と言っているわけです。


>「1と2と3が行なわれた状況」のことですね。
>もちろん、それは、状況であって、「行為の評価」の対象ではありません。

殺人と正当防衛の違いを考えればその主張の誤りは明白です。


=====

>>>> 「1と2の状況下での3→自己棚上げな批判」こそが大行為ですね。単なる3
>>>> はこの場合小行為に過ぎないでしょう。
>>> 
>>> その大行為は、他にどんな小行為からなるんでしょうか?
>
>> 大行為たる「自己棚上げな批判」は1〜3の小行為からなります。
>
>小行為ってのは、大行為の目的たる大目的を達成するために行なわれる行為の
>ことじゃなかったんですか?

全ての小行為が単一の人間によって行われたのであればそうですね。

>何らかの目的を達成するために、AとBが協力して1〜3を行なったとでも?

協力する必要がどこかにありますか?


>> 「3.B氏は1についてA氏を批判する」という小行為を行うにあたって必要と
>> なる前提は「1.A氏は煙草をポイ捨てする」のみであって「2.B氏は空き缶
>> をポイ捨てする」は不要です。至極当たり前の話ですが、自分がポイ捨てして
>> いなくても他人のポイ捨てを批判することは可能ですからね。
>> 翻って、「自己棚上げな批判」という大行為であるためには小行為2が不可欠
>> です。これが大行為としての批判と小行為としての批判の違いです。
>
>わけわからん。

それは↓だからでしょう。

>> #KGK氏の問題は「その行為が行われた状況」と「その行為が成立する為に必
>> #要な状況」を混同していることでしょう。
>
>「その行為が成立する為に必要な状況」なんて、なんで必要なんです?

もちろん、その行為を評価するのに必要な情報と不要な情報を峻別する為に不
可欠となります。

-- 
wacky