KGK == Keiji KOSAKAさんの<bsop4g$kqq$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>! "<3fdef3e7$0$19846$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>!     Tue, 16 Dec 2003 21:01:39 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>
>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<bres4t$ko4$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>> ! "<3faf87c1$0$19841$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
>>> !     Mon, 10 Nov 2003 21:43:10 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:
>>> 
>>>> KGK == Keiji KOSAKAさんの<boid26$826$2@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>>>>> っつうか、この場合は、心理的な原因で起こった「身体的被害」では?
>>> 
>>>> それが「被害」だったとしても、じゃあ「加害」って何?って話。
>>> 
>>> 「加害」が無くても「被害」はありうるでしょ?
>>> 別に不思議でもなんでもないですが。
>
>> 「加害」が無ければ「被害」も無いでしょ。^_^;
>
>「害を加える」というからには、加える主体が必要ですね。

主体は必要というか*なければならない*でしょう。ただし、目に見えるとか分
かり易いとかいう保証はありませんが…。

>しかも、この場合の「加える」は、普通、意志を持って行なった行為を指して
>言います。

何が普通なのか良く分かりませんが…。^^;

たとえばね、
坂の上に停めた車のハンドブレーキが甘くて動き出し、結果的に誰ぞの家に飛
び込んでしまった。なんて場合はそこに「害を加える」意思なんてものは無い
よね。それでもそこには「被った害」があり「加えられた害」があり、見方を
変えれば「被らせた害」があり「加えた害」があるわけ。呼び方は様々に変
わっても現象としては皆同じ物を指しているわけです。違いますか?
#んだから、「加害」が無ければ「被害」も無いわけ。

>天災などを「自然が加えた害」と言えなくはないけど、それは自然を擬人化し
>た、比喩的な表現ですね。あまり普通の表現ではない。

そもそも「加害・被害」を人間に限るのが誤りでしょう。「加害者・被害者」
を考え併せれば明らかだと思います。


>もし、辞書通りの意味での加害なら、
>
>> http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%89%C1%8AQ&kind=ej&mode=1&jn.x=29&jn.y=6
>> 【加害】 他に害を加えること。⇔被害
>> http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%89%C1%8AQ&kind=ej&mode=1&jn.x=29&jn.y=6
>
>ということだから、前述の「加える」のニュアンスを加味すると、故意があっ
>たときだけに限定されそうですね。

何故、そこから「故意があったときだけに限定」が導かれるのか意味不明。
#多分、「「加える」のニュアンス」の方に問題があるのだと思う。


>引用が前後しますが、
>
>> でも、原因(加害)なくして結果(被害)が生じることは在り得ません。
>
>というように、「加害」という言葉を単純に「被害の原因」と捉え、他に何の
>ニュアンスも加えないんだったら、

何で「他に何のニュアンスも加えない」んですか?
他者の発言を勝手に限定することは余り好ましくないですね。
#「因果関係がある」を「因果関係以外は無い」に歪めるのは詭弁そのもの。

>>>> それを「向かいの席の携帯電話による加害行為」と言えるのですか?
>
>というのは、yes で何の問題もないですね?
>その痛みの原因であることには間違いないんだから。

客観的論理的に「(携帯電話は)その痛みの原因でないことは明らか」だと思い
ますが?

>そういうニュートラルな意味じゃなく、責任を取るべき行為を「加害」とか
>「加害行為」とか呼んでるから、
>>>> それを「向かいの席の携帯電話による加害行為」と言えるのですか?
>なんて質問がでてきたんだと思いましたが、違いました?

#その主観的な思い込みの何が「ニュートラル」なんだろう…


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wacky