mac-inです

<bo2prv$gfm$1@newsl.dti.ne.jp> において
MARUYAMA Masayuki さんはお書きになりました。

>   私がわからないのは、mac-in氏が「迷惑」と呼ぶ物の正体と、

正体って何のことでしょう。そんなもの私にも分かりません。
人それぞれに「迷惑」を感じる事象があれば、それをその人は
「迷惑」と呼ぶことでしょう。
そして、少なくとも煙草に関しては、私は迷惑とまで感じることは
ほとんどありませんので、煙草の迷惑に関しては私以外の誰か
(嫌煙者の方々でしょうね)が「迷惑」と呼んでいるのです。
私はそれを想像するだけ。

> それに対する扱い方です。

「被害」と呼ばず「迷惑」と称するからには、裁判で「損害」が
認定されるレベルにある問題ではない、と私は判断します。
(迷惑防止条例にあることならばそれで対応)
あとは特別に考慮されるべき事柄の主張がないのなら、

それを迷惑と感じる人がほとんどいない事象であれば、
それぞれ個別に解決(放置も含む)すればよいと考えます。
社会的に新たに対策をしなければならないようなことではない。

大抵の人が「迷惑」と感じるであろう事象であれば、
(たとえ最初は負けるにしても)裁判で訴えるなり、
なんらかの規則を作るように働きかけたり、
という行動から社会的な対応に自然と高まっていくでしょう。

ところで嫌煙者ってどの程度の人数いるんでしょう。
私は多く見ても人口の1割以下だと想像しているんですが。

> それに対する扱い方です。あなた達の定義するところの「被害」を
> 生じないのに、なぜ携帯電話の通話制限を是とするのかがまるで
> 不明です。

「迷惑」(と誰かがある事象を呼んだ場合)にも幅があります。
大抵の人が「迷惑」と評価できることもあれば、ごく一部の人だけ
しか感じない「迷惑」もあります。
そして、電車内で大声を出すことを、大抵の人は迷惑な行為だと
評価するでしょう。「うるさい」と。
通話も同じで、要は大きな声を出すことが迷惑なのです。

となれば、後は通話で声を出すことを抑制するために「実効性の伴
う、簡単に守れる規則」を作ってしまうのがいいでしょう。
それが「通話禁止」です。
通話できなくても携帯メールで連絡は取れるんですから、連絡を取
るという機能は生きています。それで大抵はこと足りるでしょう。
規制による弊害も非常に小さく抑えることができていますね。

もし小声の通話を許すと、許される通話かどうかの判断が非常に困
難になり、規則の実効性がなくなります。通話を禁止しても連絡を
取るという機能は生きたままですから、大した不自由にはならない
でしょう。落し所としてはいい線だと思っています。

実のところ、携帯マナーのうち、「優先席付近では電源を切る」は、
実効性がなく、守られているかの検知もできないので、無意味だと
思っていますが、そのアナウンスで満足する馬鹿もいるんでしょう。
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mac-in@横浜