KGK == Keiji KOSAKAさんの<bgfujn$n2m$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から
>> 現象の把握の結果として問題が認識されればどちらの方向への是正であろうと
>> 「問題の解決」と言えるでしょう。ただし、「問題が存在するか否か」は
>> 「現象の把握の結果」として判明するのだから、それ以前に「解決」を言い出
>> すのは少々奇異な話です。
>
>喫煙迷惑ってのは社会問題として存在するわけだし、それを含む迷惑問題って
>のも存在するでしょ?

「社会問題である」ってのには既にして価値判断が含まれてますけど。

>> 従って、本当に「それが正当かどうかを考えるのは後回し」にしているの?と
>> いう疑問が生じるわけです。
>
>社会的に軋轢が起こってるのは事実でしょ?

だからって「軋轢は解消されて当然」と決め付けちゃいかんでしょ。
人間が社会の中で生活しているのですから端々に軋轢を生じるのは当然でしょ
う。「軋轢=悪」では現象論とはいえませんね。

>だから、まず事実関係を表わすモデルを作るってことは、正当性以前の話とし
>てできるはずです。

であれば、無批判な価値判断を差し挟む事は避けましょう。


>>>>>> #何れにしろ「それは煙草ダメの理由にならない」ってことじゃん。
>>>>> 
>>>>> それって、煙草が許容されるってのを前提に話してます?
>>> 
>>>> 少なくとも「そこは禁煙ではない」が前提ですよね。
>>> 
>>> 前提がその程度だと、
>>>>>> #何れにしろ「それは煙草ダメの理由にならない」ってことじゃん。
>>> というのが導けないんですが。
>
>> なんで?
>
>煙草が許容されてなかったら、wacky氏のいうところの「やってよい」にもな
>らないよね?

だから「少なくとも「そこは禁煙ではない」が前提ですよね」なんだけど?
#何が言いたいのか不明です。


>> 他人に対しては
>> ・「やっていい」と素朴に言えるものじゃない(んだから遠慮しろ?)
>> で、自分に水を向けられると
>> ・「やっていい」と素朴に言えるものじゃなければやってはいけないとでも?
>> なわけじゃん。
>> だから、「自分の言ってることを否定してる」と評したわけです。
>
>括弧内は言ってないことです。
>・「やっていい」と素朴に言えるものじゃない
>というのは、「素朴じゃなけりゃ言えるかもしれない」って含みを持たせた表
>現です。
>素直に解釈すれば「それってグレーゾーンだよ」って話になると思うんですが、
>いかが?

#蒸し返しか?

で、グレーゾーンだから何だと?
#グレーゾーン(だから遠慮するのが当然)だ。じゃないの?


>> で、仮に最初から「「やっていい」と素朴に言えるものじゃなくてもやって良
>> い」という意味で言っていたとしたら、今度は「「やっていい」と素朴に言え
>> るものじゃない」という主張の中身が空虚になってしまうわけです。
>
>正確に言えば、
>・「やっていい」と素朴に言えるものじゃなくてもやっていいものもある
>です。

で、だから何?ですよ。
だとすれば、その「「やっていい」と素朴に言えるものじゃない」は何も言っ
ていないに等しい空虚な主張なのでは?


>>> で、その一部の若干別の話として、
>>> ・他人の行為に対する判断が間違ってるかもしれないってリスクは常にある。
>>> ってのがあるわけだけど、それは直接は導けないよなあ。
>>> 
>>> ま、それはそれで正しいから、どっちも問題にしてかまわないんだけどね。
>
>> 「それはそれで正しい」し、特に*区別しなければならない*理由も無いので、
>> 別の話ではないと思いますよ。
>
>別のリスクの話なんだから、別の話じゃん。
>迷惑問題と関係ないし。

「蒙った迷惑を非難する」ってのは「他人の行為に対する判断」そのもので
しょう。

「間違ってるかもしれないってリスクは常にある」を認めながら「喫煙につい
ては否」と言うのは明らかに間違いですよね。

-- 
wacky