「その間中自らの生命が俎上に乗せられている*から*決して切り離せない」の
だと主張するのであれば、「死刑執行官として人を殺した」ってのはどう?
この場合の執行官には特別な「生命の危険」なんてのはありませんよ。

tomoaki endoさんの<20030525120242.2e9fb9f2.noa@zd.wakwak.com>から
>遠藤(noa)です。
>On Sat, 24 May 2003 21:56:36 +0900
>wacky <wacky@all.at> wrote:
>> >> 無理矢
>> >> 理切り離せば「別のモノ」になってしまうでしょう。
>> >無理矢理セットにして「別のモノ」にしてるだけじゃん。
>> 
>> んじゃさ。^^;
>> 「自己棚上げで批判した」が「無理矢理セット」なら、「正当防衛で撃ち殺し
>> た」だって「無理矢理セット」なんでないの?KGK氏の思考法に沿って考えれ
>> ば正当防衛は成り立たないですね。
>「正当防衛で撃ち殺した」は、その間中自らの生命が俎上に乗せられている
>状態で"決して切り離せません"。

ところが、「撃ち殺すという行為だけ取り出せば悪いことである」というのが
KGK氏に代表される主張ですよね。

実際の所は「撃ち殺す」という行為は「正当防衛である」という属性に結び付
いているが為に行為自体の正当化ができるわけ。正しく「無理矢理切り離せば
「別のモノ」になってしまう」わけです。

>「自己棚上げで批判した」とは関係ないでしょう。

頭書の通り。

・生命の危機的な状況である
・職責によって必要な状況である
・自己棚上げな状況である
何れの関係性であろうと行為と切り離せない属性でしょう。


>「自分が生命の危険にさらされたことがあるから、誰かを撃ち殺した」
>では正当防衛は主張できないのは当り前のことです。

それが当たり前なのは、「撃ち殺す」という行為と「過去の生命の危険」に関
係性が無いからでしょう。

-- 
wacky