! "<3ec7590f$0$3089$44c9b20d@news2.asahi-net.or.jp>" という記事で
!     Sun, 18 May 2003 19:00:27 +0900 頃に wacky  さん は言ったとさ:

> KGK == Keiji KOSAKAさんの<ba558n$gfn$1@film.rlss.okayama-u.ac.jp>から

>> こっちを「二つの行為が組になったシロモノ」と評価する理由はなんでしょう?
>> 何故「自らの行為」と「他者の行為への批判」を組にして考えなきゃいけない
>> んでしょう?

> でなきゃ「自己棚上げ」にならんでしょう。

なぜ「自己棚上げ」にならなきゃいけないんでしょう?

> その行為は単なる批判ではなく「自らの行為」を前提とした「自己棚上げの批
> 判」であるわけ。

だから「前提」じゃないってば。

> 無理矢
> 理切り離せば「別のモノ」になってしまうでしょう。

無理矢理セットにして「別のモノ」にしてるだけじゃん。

>>> 「正しい」のは「放火しない」こと。で、放火しなければ「消火活動をする」
>>> こともないわけ。
>> 
>> それは「消火活動をする」ということの是非とは関係ない話ですね。

> はい。
> それは「自分で放火して自分で消火する」ということの是非の話です。

「放火する」ということの是非にしかなってないよね?

・自分で放火して自分で消火する
・自分で放火して自分では消火しない
・自分で放火して鼻糞をほじる

どれでも「間違った行為」とするのならば「自分で放火して」の後は評価の対
象になってないよね?

> #繰り返しますが、無理矢理切り離せば「別のモノ」になってしまいます。

そもそも、二つの行為を組にしたものを単一の評価で表現できると思ってるこ
と自体「間違い」だと思うけどね。
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KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
KG  KGK (life name: Keiji KOSAKA), Dept. of Phys., Okayama Univ.        K
KG kgk@film.rlss.okayama-u.ac.jp http://film.rlss.okayama-u.ac.jp/~kgk/ K
KGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGKGK
# 一つの行為でさえ単一の評価ができるとは限らないのに