河野真治 @ 琉球大学情報工学です。

In article <I1N6d.11987$NC6.6022@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>, Sugawara <sugawara81@hotmail.com> writes
> 記号論理学の世界で記号化しないことには演繹できないというのではお話に
> ならない。学問は記号論理学のみではない。体系化された学問が記号論理学的
> に体系化されないことには学問ではないというのでは、記号化したものしか社
> 会科学は成り立たない。

不完全性定理とか完全性定理とかは、記号ゲームとしての論理と、
それが表すものを分離して初めて証明されたものです。もともと、
記号化の限界を自分自身で考えられる学問が論理学。それを記号論
理学と呼ぼうと呼ぶまないとそれはどうでもいい。実際、僕達は言
葉と言う記号の制約の中で議論しているしね。

> 記号論理学以外は学問的方法ではないというような視野狭窄学問では使いもの
> にならんな。
  ...
> 日常会話言語でわれわれは暮らしている。さらにその三段論法の世界で暮らし
> ているわけだ。

日常会話言語と記号論理には、それほど差はないよ。それに、三段
論法は記号論理で用いられる推論規則の一部にすぎないし。

> われわれの現実の社会の論理的思考において、
> 「事実言明のみからなる前提群から価値言明を含む結論を論理的に演繹するこ
> とが果たして可能なのか」
> この結論は、すでに、出ているわけだ。事実から価値は演繹できないことが
> ね。

それが、君の論理的思考能力なのね.... 結局、自分の理解できな
いことを認めないってだけじゃん。それなら、君は何も演繹するこ
とはできないよ。

論理学は面白い。実際、役に立つし。事実とか価値とかの、ドイツ
観念論のつまらない議論を打ち破ったものだしね。もちろん、常に
基本に立ち戻るのは重要だし、現実世界から離れたモデルだけでな
く現実世界自体も重要だけど、結局、それを言葉でしか議論できな
い自分の限界を知るには良い道具です。

役に立つ道具を否定する人に残るのは時代遅れになる道だけ。

記号論理は推論とは何かとか、新しい知見とは何かとかも議論する
時の重要な道具になっています。

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Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科