糞餓鬼(Sugawara) stupidly wrote;
>
> Golden Cross wrote:
>
>>「事実言明のみからなる前提群から価値言明を含む結論を論理的に演繹する
>> ことが果たして可能なのか」
>
>
>yesと答える立場のひとは自然主義者です。
>
>この種の不可能性は、次の、論理上の一般準則のひとつのコロラリーとしてす
>でに認知されている。
>「およそいかなる演繹的推論においても前提のいずれにも含まれていない要素は
> 結論にも含まれ得ない」


# オマエ、数学的帰納法、知ってるか?

これは、名前こそ“帰納法”となっているが、れっきとした「演繹法」だ。

「P(0)」という前提にも、「P(r)ならば、P(r+1) である」という前提にも
含まれていないが、「P(0)」という前提と「P(r)ならば、P(r+1) である」
という前提とから「すべての自然数nについて、P(n) が成立する」ってこと
が演繹できる。



>アンリ・ポアンカレをご存知なら「その前提がふたつとも直説法になっている
>ならその結論も直説法になるはず」「結論が命令法なら前提の少なくともひと
>つがそれ自体命令法になっている必要がある」という言葉をご存知のはず。
>
>この意味からはマックス・ヴェーバーは、自然主義一元論の立場であり、事実
>から価値への推論が、ひとつの価値言明も前提群中に編入せずに行われるとす
>る主張のため、学問的厳密性および合理的推論の立場からは正当化できないも
>のです。


ポアンカレといい、ヴェーバーといい、古いな、オマエ。 頭は19世紀か? ヽ(^。^)ノ