佐々木将人@函館 です。

んでは問題を整理しましょう。

>From:ABE Keisuke <koabe@mars.sakura.ne.jp>
>Date:2005/05/23 21:53:48 JST
>Message-ID:<koabe-A1E866.21534823052005@news01.sakura.ne.jp>
>
>「なんで?」「なんで?」「なんで?」と重ねても、
>表現の自由の持つ価値にたどり着かなかったですから。

たどりつかないといけないんですか?

この疑問は2つの質問から成り立っています。

まず第1に
表現の自由は誰にとっても自明なのでしょうか?
第2に
法学の範囲でたどりつく必要があるのでしょうか?

ここで注意しなければならないのは
「表現の自由」自体の定義が相変わらずなされていないことです。
で、なければ相変わらず法学における定義とは異なる定義を
法学に持ち込もうとしているか。

そこで第1の質問の前提質問を提示します。

「表現の自由」というのは
あらゆる局面で唯一共通の定義付けがなされている語なのですか?
(ただその唯一共通の定義について争いがあるというだけなのか。)
分野によって(たとえば法学以外の学問分野で)
異なる定義付けがなされていてそれは並立可能な語なのですか?

まずこの点について御自身の立場を明示してください。
(明示できなきゃ議論は不可能です。そもそも。)

ちなみに法律学では定義付けないと争いになりかねませんので
定義付けて使うようにしていますし
当然その定義は他の分野で採用されるとは限らないことを
認識しています。
言い換えるなら
「他の分野でどう使っているか知らないけど
 法学ではこう使う。
 そうしないと議論が明晰にならず問題解決ができない。」
という立場(言うまでもなく後者ですな)であり
私もそれに乗っています。
この極端だけど明解な例は「道路」でしょう。
道路法の道路と道路交通法の道路では定義が異なるゆえに
おなじ道が道路であったり道路でなくなったりします。
ましてその「道路」に他の分野例えば文化史的な「道路」概念や
工学的な「道路」概念(があるかどうかはわかりませんが)を
持ち込めば議論は錯綜するばかりです。

なお、予告しておきますが
この前提質問が解決した後で
例の本でも取り上げている
「なぜ人を殺してはいけないのか」
という例で
「生命の価値を法律学の範囲で説明できなければならない」
という主張を排斥する予定です。
(生命の価値が常に最優先なら死刑は許されるのか?
 なんて問題提起でもよし。
 生命の価値ということでは
 問題解決になってないことを示せれば十分なので。)

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ルフィミア「函館で桜の開花宣言だそうですよ。(5/1)」
まさと「あんなに雪多かったのにね〜。」