佐々木将人@函館 です。

>From:solsys <solsys@bu.iij4u.or.jp>
>Date:2004/03/24 22:56:01 JST
>Message-ID:<c3s3vl$24s0$1@nntp.tiki.ne.jp>
>
>重要な文書に対して?→重要であるかどうかを決めるのは誰?
>           どんな事件でも当事者にとってはとてつ
>           もなく重要ですよ。

最高裁判所の悪しき(とあえて言っちゃうけど)平等感覚ゆえに
「重要であるかどうかを決めるのは誰?」
「どんな事件でも当事者にとっては重要」
……だから同じに扱う結果になるのですが……

ちなみにこの点で裁判所に対しいらついているのが
マスコミのはず。
マスコミには「重要な事件」と「そうでない事件」の峻別があって
だからこそ前にも書いた明治の判決原本廃棄事件の時は騒がないけど
ロッキードは騒ぐということになる。

そこで裁判所は全部を同じ扱いにするのだが
一方で(これまた最高裁に限ったことじゃないけど)
全部を保存する物理的スペースが存在していないはず。
だからいつかは捨てなきゃいけないし
場合によっては区別して捨てなきゃいけない。

>それと、もし保存期限の法律がなかったとした場合、そのような
>法律がないこと自体がデタラメだと思います。

最近は一応、例えば国立公文書館法があって
歴史的に重要な公文書は廃棄するなってことにはなっています。
具体的な年数の定めはないけど
要は「一定のものを保存」できればいい訳で
例えば各省庁の判断で廃棄することは一切許さず
国立公文書館で判断して廃棄することにするシステムが確立すれば
年数自体は内規でもいいんじゃないんでしょうか?

そして私が(若干頭に来つつ)主張したいのは
「文書を残す」という観念が
(最高裁に限らず)すっぽり抜け落ちていて
現行法でも各省庁の判断に委ねられている点であり
……あまり市民の側でも価値をわかってくれないがゆえに
  予算もつきにくいという点なのだな……。

----------------------------------------------------------------------
Talk lisp at Tea room Lisp.gc .
cal@nn.iij4u.or.jp  佐々木将人
(This address is for NetNews.)
----------------------------------------------------------------------
ルフィミア「まさと先輩、今年もよろしくお願いします。」
まさと「振袖着れるようになったの?」ルフィミア「はい。勉強しました。」