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及位隧道を抜けると, 山形県最後の集落である朴木沢になります。正面に見える山は, 正に県境の稜線。右側の鞍部が雄勝峠で, 左は朴木沢川の源流を経て甑峠方面です。甑峠の道は, 藩政期の矢島街道だったらしいのですが, 車道化される事はなく, 現在では登山道としても廃道のようです。
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ちょっと道を外れて, 及位駅に来ました。山形県最北端にして, JR東日本仙台支社が管轄する最後の駅です。また, 地名自体がそうですが, 日本全国でも有数の難読駅名でもあります。東の及位・西の特牛(山陰本線), なんて言われています。さて『特牛』は何と読むでしょうか!?
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(16:08) |
さっきの場所に戻って来ました。すぐ先で右に分岐し朴木沢川を渡る橋がありますね。これが旧国道にして, 旧々道(三島道)・旧々々道(藩政期の道)にも続く道です。
しかーし, 主寝坂峠旧道が廃道で突入できなかったのと同様, 雄勝峠旧道も通れないのです。旧国道は雄勝隧道が民間に払い下げられ立ち入り禁止になっているため通行不能, 三島道は旧国道工事により及位側路盤が破壊されているため進入不能, 藩政期の道は言わずもがな。そんな訳で, 現在国道13号の県境部分には道は1本しか存在しないのです。
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(16:15) |
国道13号を普通に走り, 雄勝トンネルにやって来ました。旧雄勝隧道は主寝坂隧道より少し早い昭和30年, こちらは昭和56年の竣工です。私より3歳若いから, 14歳ですね(← おいおい)。
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(16:17) |
洞内はこんな感じ。昭和も末になってからの道ですので規格はやや余裕が持たされています。上下線とも狭いながら歩道あるし, その上で外側線外も幅があるため, 自転車通行も容易です。写真を撮るため立ち止まる事ができるのも, この余裕の御蔭です。ただ, 路面は少々滑べりますので, 降り基調ということもあって……こーわーいー。交通量もとっても多いのよ。
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(16:21) |
雄勝トンネル中間点に, 山形県と秋田県の県境があります。……来たぞ, 秋田県雄勝郡院内町! ← 2段階に古いわ!
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(16:21) |
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隧道突破! 現在の自治体名で言うところの, 秋田県湯沢市にやって来ました。2005年3月21日までは雄勝郡雄勝町, 1955年4月14日までは院内町だった所です。更に言えば1895年7月18日までは院内村, そして多分1889年3月31日(明治の大合併前日)までは上院内村。
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(16:27) |
振り向き見れば, 雄勝トンネルの院内側坑口。及位側とは趣の異なる, 斜めに断ち割ったような坑門になっています。左に分岐しているのは, 通れなかった旧国道です。その奥に鞍部が見えますが, これは雄勝川源流部であって雄勝峠ではありません(道路無し)。
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(16:27) |
山側を見ると, 奥羽本線の院内トンネルがあります。これは上り線。下り線のトンネルはもう少し下で姿を現します。雄勝トンネルは交通量とても多かったけど, こっちは複線化されているのに閑散区間なんですよね……かつては特急も通ったというのに。
もう1つ, ここへ来てはっとしたのが, 鉄道の下を流れている沢。足元で国道も潜っており(暗渠), 道の反対側すぐのところにある雄物川支流雄勝川に注いでいます。つまり雄物川水系の川なんです。笹舟でも流そうものなら, 流れ流れていずれ秋田市に行き着く水……!
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少し下ったところに明治天皇御小休所碑があります(字が読めない……)。『羽州街道をゆく』によると, 峠からの距離を記録と照らし合わせ, ここに雄勝山一里塚があったのではないかと推測されていますが, さて。
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国道108号(背後に見えるコンクリ橋台)との立体交差の真下で国道13号から旧国道に移り, 奥羽本線を踏切で越えた直後に, 院内関趾があります。雄勝峠が藩境ですので, 前後の要地に新庄・久保田各藩の関所が置かれていた訳です。ということで, いよいよ久保田藩領へ来たのだと実感……。
ちなみに国道108号は, 序盤は院内銀山への道の一部であり, その先は旧矢島街道(前述の甑峠越えの道)を継承する道です。こちらを行くと, ヨッキれんさん受難の地『松ノ木峠』を越えて子吉川水系へ移り, 私には思い出深い難読地名『笹子』『直根』などを経て(読めます?), 本荘・平沢・象潟へ続きます。
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(16:42) |
(16:45) |
中乃橋。渡る橋は, 雄物川の本流! ざぶんと飛び込みゃ秋田さ行かさる(行けません)。この付近に上院内一里塚があったようです。
地図から判断するに, 十部一沢川と南沢川, 若しくは山ノ田沢川が合流するところ(いずれもここより0.5〜1.5km上流)から雄物川になるのかな?
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(16:45) |
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宿場ではありませんが恐らく助郷はやっていたであろう, 上院内です。夕暮れ時の長閑な町並み……うーん, 重運動後ですが落ち着く。
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愛宕神社の手前にコロリ地蔵尊堂がありました。
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(16:49) |
愛宕神社にぶつかるところで旧国道は再び雄物川を渡ります。神社の奥へ向かい松根川を渡って下院内村へ向かうのが藩政期の羽州街道なんですけど, この先は館山が雄物川ギリギリにまで迫る険しい地形で, 全盛期にも道幅は半間(約0.9m)程度しかなかったようで, 現在の地形図には道が描かれていません。江戸時代から既に対岸の道も使われていたです。
ここでは愛宕橋(写真右にちらっと写っています)で雄物川を渡り, 対岸の道, 明治10年に拓かれた新道由来の旧国道を選びます。何故なら……
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(16:50) |
何故ならそこに院内駅があるから! 秋田県内最南端にして, JR東日本秋田支社が管轄する最初の駅! 見た目が重厚なのは, 郷土資料館『院内銀山異人館』を合築しているためです。でも今年4月1日から無人駅になってしまいました……全盛期には久保田の城下町よりも人口が多かった大都市なのに。
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(16:53) |
常盤橋で再び雄物川左岸に写ると, 道は桝形っぽい線形を描きます。その曲り角正面にあるのが本陣斎藤家跡です。
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(16:54) |
本陣があるということは, 宿場の証。常盤橋は上院内と下院内の境なのです。という事で, 羽州街道第21の宿場・下院内宿に到達しました。秋田県・久保田藩領で最初の宿場です。
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(17:04) |
更に進んで, 役内川を万石橋で渡ると, 羽州街道第22の宿場・横堀宿になります。秋ノ宮を経て仙台領へと続く鬼首街道(羽後街道・最上仙北街道)との追分が所在し, 元々大きな集落だったようですが, 今では院内を上回っているみたいですね。
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(17:06) |
それは, 院内駅は無人化されたけど, この横堀駅はまだ業務委託駅であるというところに如実に表れているかと。駅舎はちゃちいけど。
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(17:11) |
さて, 17時を過ぎましたので, そろそろ本日の行程もおしまいにしましょう。狙い通り, 道の駅おがちに到着です。国道ではなく裏側から見るのは初めてです(^^;;;
それにしても, 旧街道(この付近では旧国道ではなく旧々国道)から道の駅へ向かう道って, まるっきり『舗装しただけの畦道』で, 並木もあるから道の駅を視認できず, どこ曲がれば良いんだかちょっと迷いました。北上ノ山駅や猿羽根峠毒沢口などでの痛手の記憶から, 地図読みでの距離を判断しここで間違いないだろうと思った角をえいやっと曲がったら正解だったという……ちょっと冷や冷や。
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(18:06) |
道の駅おがちの食堂で食べるなら, いつも通りの稲庭饂飩。重運動後の食欲減退状態でもこれはするする入ります。窓の外には, 鳥海山を思わせる綺麗な山容の山が……東鳥海山はもっと北の筈なので違うと思います。地形図だとこの山の名前は載ってないなあ……でも山麓に見える集落の名前はありますよ, 『御返事』って。『おへんじ』じゃありません, 『おっぺじ』です。
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道の駅おがちを終の場所に選んだのは, もう1つ理由があります。……昨日の調査で, どこか沿線の道の駅にコインシャワーがあるって調べていたので, 見付けたら入ろうと思っていたんです。それが山形県内の道の駅じゃなくて, ここだったんですよ! 丸2日分の汗を流さなきゃ。
ちゃんとした銭湯ならシャンプーも常備されているでしょうが, ここは基本的に長距離トラックの運転手さんなどが休憩で使うことを前提とした程度のものなので, 気の利いた備品なんてありません。なので三鷹から持って来ていた――陽焼け止め落とし程度で使うつもりだったんだけど――「ハンドパワーです〜」「ハンドソープって言いたいんだろうな……」でどうにかこうにか。
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そういうコインシャワーがあるくらいですから, 休憩所は24時間開放されています。本当はここで宿泊するのは歓迎されていないんですけど, 代替手段がそうある訳でもないので, ごめんして端っこをお借りします。もう1人, ここで寝た人が居たみたいです。
湿度がやや高くて快適とは言えませんが, 屋内で寝られるのはそれだけで幸せなことです。夜中に2, 3回, 団体さんが来たみたいですが, お互い干渉せず。4日目が幕を閉じます……
ここまでの走行記録……走行時間: 6.48.50, 走行距離: 112.63km, 平均速度: 17.1km/h, 最高速度: 46.7km/h(変わらず), 総走行距離: 6,105.7km。多分, 上台峠での『押し』は正しく計測できていないと思います。
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