まったくはりあいがないなぁ。この返事じゃ。

ラッセルって何を読んで、ラッセルをどのように評価してるの?


Shinji KONOさんの<3990664news.pl@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>から
>河野真治 @ 琉球大学情報工学です。
>
>In article <R9G8d.14111$NC6.8371@newsread1.mlpsca01.us.to.verio.net>, Sugawara <sugawara81@hotmail.com> writes
>> Shinji KONOさんの<3990649news.pl@rananim.ie.u-ryukyu.ac.jp>から
>> 一般意味論を、否定する根拠が何も示されていないね。
>
>あれは否定する前に内容がないからなぁ。
>
>まぁ、この記事自体はだいぶましだと思うけど、用語がずれている
>のは仕方ないか。コンベンショナルってなんだよ。
>
>> 当為が、当為の毛もない規則や当為の毛もない素項や、当為の毛もない意味写
>> 像で、魔法のようにぽっこり現れるわけではないのだ。
>
>ヒュームの時代は、まだ、論理学の形式化が良くわかってなかった
>ので、あーいう記述になったんだと思う。でも、現在は、一階述語
>論理と、そこに公理や推論規則を入れたものの能力や限界がわかっ
>て来たので、当為を他の述語で記述できる性質と区別する必要は無
>いです。なので、当為に関して、アプリオリな導出をすることも可
>能です。
>
>当為「何が良いこと」とか「何をしたいのか」とかは、他の性質、
>重さとか大きさとか色とかと、まったく同じように「基本的な事実」
>「その性質を含む推論」などを「定義」してやる、あるいは、おなじ
>レベルの論理的な記述からは「未定義用語」あるいは「アプリオリに
>正しい性質」を決めてやればよろしい。それに従って、形式論理に
>従って推論すれば問題ないです。
>
>僕は、ラッセルの記述の理論は、この手の意味とか価値とかの問題
>を本質的に解決してしまったんだと思う。それらを特別扱いする必
>要が無いと言う意味でね。
>
>> 君がどんなに気張っても、当為なる公理抜きで、当為なる結果は出てこないの
>> は広く世界で公認されてることだが、河野情報工学はやはり普通じゃないな。
>
>別に僕は当為に関する公理を認めないような論旨を主張したことは
>無いけど。
>
>既に帰納推論とかTMSとかいろんなものがあるし、事実から推論する
>のと同じように当為も取り扱えば良いだけだね。
>
>> 問題は、しかし、そんなところにあるのではないね。政治を論じているこの場
>> においては特にいえるが、政治が数理論理学の土俵に乗らない、そのようなコ
>> ンベンショナルものでないなら、では、君が言うように価値も事実も無視した
>> 思考混乱のなかでの思考をしてればよく、法律が正しいか間違ってるかなど、
>> 裁判官の専権事項で、河野君や一般国民にはどうでも良いものあるのか、ここ
>> らが問題だね。
>
>この文章は何言っているのかわからないです。日本語で書いてくれ
>ない? 
>
>> 数理論理学は、価値と無縁な論理学ではないよ。社会科学において日常会話言
>> 語のあいまいさを補完はするが、しかし、価値は価値のトリガーをおかなけれ
>> ばはじまらないのだよ。
>
>まぁ、価値が単一なのか、あるいは、 人毎に違って議論もできな
>いものなのか、そんな単純な質問にも答える準備の無い君には難し
>いことなんでしょうけど、お互いに一致する基本的なところから論
>理的に議論していけば良いだけじゃん。
>
>ってわけで、当為も価値も別に普通に論理的に議論して良いんです。
>特別扱いする必要はありません。むしろ気をつけるべきなのは、論
>理の階層だね。メタなレベルで議論しているのか、1レベルで議論
>しているのか、そのあたりを気をつけないと簡単に矛盾してしまう
>ので。
>
>---
>Shinji KONO @ Information Engineering, University of the Ryukyus
>河野真治 @ 琉球大学工学部情報工学科