神戸です。

On Fri, 18 Feb 2005 18:23:54 +0900, v *^。^* <go_to_trash@mail.goo.ne.jp> 
wrote:
> 私が言いたいのは、権威を持つ人々は、*ご都合主義*で勝手にルールを
> 変えたり、ありもしないルールを持ち出したり、またある時は、相手を
> 非難したありもしないルールを利用したりする人々だということです。

ルールとは自然現象ではなく人工物なので
必要に応じてそれが開発されるまで「ありもしない」のは当然です。

また全てのシステムは目的を持って設計されるので、その目的に沿わず、
そのシステムが本来の目的を果たすことに対して障害となるものを
排除するのは戸口から出る前にドアを開けなければならないのと同様に
非常に当たり前のことです。

そして規則とは目的に対して都合よくなるよう設定されるわけで、
本質的に極めて「ご都合主義」なものなのです。
目的が適当であるかどうかはまた別の問題です。

#余談:
#権威というものは、その権威を持つものがなすと期待されている仕事に対して
#+の貢献をすれば増し、−の貢献をすれば減るものです。
#なのである分野でそれなりの権威であり続けられるということは
#その分野での彼等の判断に対する周囲の信頼を表しているといって良いでしょう。
#権威と見ればヤミクモに反発する態度は権威に対する盲従と表裏一体です。

> 「 fj.* は自由であって欲しい」と願ってやまないのです。

自由とはなんでしょうか?

私は
「根拠がない ならば 他人に指図しない」
という命題が真であるように努めるということであると考えます。
(「他人に指図する ならば 根拠はある」が真であるように努めることと同値。)
このような自由によって、
各自の責任範囲での試行錯誤について、根拠のない意見による偏りを排除することができ、
システムをよりよいものにするために
各人の多様な知識、立場、能力、資源保有量、などなどに応じて
多様な探索が行われることを促進するでしょう。それが自由というものの機能です。

試行錯誤による探索の結果、うまく行くと分かった方法は
当然広まって欲しいので推奨するのが相応しいですし、
問題を引き起こすと分かった方法は
広まって欲しくないわけで忌避されるのが適当でしょう。
そして上述の自由の定義はそのような推奨や回避といった他人への指示を
根拠(うまく行く理由、うまく行かない理由)が示される場合に限って認めています。
・・・というか認められなければシステムの改善は進まないことでしょう。
特にその有用性や有害性の度合いが高ければ推奨は強制に、回避は禁止となるでしょう。
(例えばシステムの存続を危うくする危険な事例、
メール/ニュースならSPAMメール/投稿とか。)

つまりfj.*が自由であるとは
fj.*での規則(推奨、強制、忌避、禁止)には
fj.*の目的を達成するために役立つという合意に足る根拠が必要である。
ということを言っているだけで、
別に「規則があってはならない」という意味ではないということです。

例えばニュースグループという記事のラベル付けの仕組みは
読み手が情報にアクセスするために非常に役立つ基本的な仕組みです。
これが正しく用いられなければ読者は適当な記事にたどり着くために
大変苦労することになるでしょう。
よってニュース・グループの適切な選択は
情報を伝達するというニュース・システムの目的に対して
重要な課題であり、何らかの指針、規則が存在するのはむしろ当然で
無い方が恐らく困るくらいのものでしょう。

実際、軽度の批判の1形態としてよく用いられる「茶々入れ」が行われる全ての記事を
fj.jokesに投稿する無思慮な大量投稿者が存在したらどうでしょうか。
fj.jokesには全てのニュースグループから茶々いれの部分、議論の枝葉となる茶々だけが
大量にかき集められることになります。
これはjokeを求めてfj.jokesを読みにやってきた人々にとっては
耐え難いS/N比の悪化をもたらすでしょう。

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