嶋田です。

Karura Asagami wrote:

> 入ってました、少なくとも前面には。ヒゲのごとく。

         首筋(?)の部分だけ入っていませんが、顔と側面に
        入っていたはずです。

> でも濃いベージュというよりはこげ茶色に見えました。

         そうですね、確かに窓周りは「濃いベージュ」と
        言うよりは「茶色」と言った方がピンと来るように
        思います。

> 「ムコ」という略称がありませんでしたでしょうか。

         今でもあります。向日町の電略です。ついでながら
        武蔵小金井もムコですが、まあ所属する線が違います
        から。

> 近い過去だったか遠い過去だったか、「大ムコ」という車籍
> 表示を見たような記憶がありまして、

         もはや今となっては「遠い過去」でしょう。優等列車
        用車両を主とするネグラとして「大ムコ(大阪鉄道管理
        局向日町運転所)」はありました。この時代、ムコは
        駅なら向日町、車庫なら向日町運転所を指していました。
        ついでながら東京近辺では武蔵小金井電車区も。

> 京キトが向日町につながらなかった次第。

         その「大ムコ(大阪鉄道管理局向日町運転所)」が国鉄
        末期だったかJR初期頃にようわけのわからない経過を
        たどって現在の京キトになったわけです。今でも古株の
        同業の間ではムコの方が通りがいいです。

> いわゆる”基本編成”のなかに、車籍が2つあるのを見たときは少々カ
> ルチャーショックでございました。P型のことは存じてませんでしたから、
> 大真面目に「なんやこれ?」と。

         まだ「貸し出し中」ということでしょう。そのATS-P
        関連でミハからキトへ貸し出し中だった117系は晴れて(?)
        キトに転属したようで所属表記の所だけスプレー文字
        になっています。
         「一本の編成の中に二つの所属」ということであれば
        【まいづる】用のクモハ183-200番台も結構長い間所属
        表記が「金サワ」になってました。

>  急いでいたのでハッキリ見ていないのですが、改札の正面になにやら店
> (キオスクのようなケチな規模ではございません)がありましたし、広大
> な空き地が広がる1番線側より5番線側の方がまだ賑やかなように見えま
> した。

         高架になってからは1回しか行っていないのですが、
        そういう店はあったようですね。

> その辺で何か買っとけということですかね。

         ま、そういうことでしょう。地平時代は1番ホームに
        あった駅そばもなくなっていましたし。

> 奈良も同じ運命をたどるんでしょうなぁ。

         たぶんそうでしょう。

> 駅の規模だけで言えば、阪神高速から見えた湊町なんかも
> 大好きでした、25年前の話。今のJR難波なんか面白くも
> なんともない。

         鉄道関連物(駅とか車両とか)に「面白味」を求め
        られる時代ではなくなった、ってことでしょう。
        JR自体は何やらヘンテコリンな列車を運転したり、
        車両を作って客からウケを取っているつもりのよう
        ですが。