嶋田です。

Karura Asagami さんは書きました:

>  ところで、嶋田さんが『〔はまなす〕』と書くと言うことは、急行でもブ
> ルートレインと称するのは差し支えないと言うことでいいんだと分かりまし
> た。

         早トチリしないで下さい。ブルートレインという言葉の
        定義自体が曖昧なんですよ。元はナハネ20系ができた時、
        ファンの間から誕生したようですが、いわゆるブルー
        トレインブームの時にマスコミで派手に取り上げられ、
        鉄以外の一般人にも浸透しました。国鉄は使っていたか
        どうか覚えていませんが、少なくともJR西日本は使って
        いました。新大阪駅の17番、18番ホームに掲示があり
        ました。
         で、そのブルートレインの元祖、ナハネ20系ですが
        初期には1等座席車のナロ20や2等座席車のナハ20なんか
        もあったわけで「ブルートレイン=寝台車」ではなかった
        わけです。ま、旧型客車のスハ43系やナハ10系も青く
        塗り替えられた時代ですから、それらと20系を区別して
        読んだ言葉と言ってもいいでしょう。
         その後、国鉄の手っ取り早い増収策として夜行列車
        (特に特急)は原則寝台車化するという方針で20系から
        座席車は姿を消しました。そして、その20系の後継車
        として造られた14系も始めは寝台車と食堂車、荷物車
        だけでした。しかし、後に波動輸送用として14系の
        座席車が造られたあたりから少々ややこしくなって
        きます。と言っても当初は同じ14系でも座席車と寝台
        車が同じ列車で編成されることはなかったのですが、
        国鉄末期になると廃止した旧型客車の代替として14系
        や24系が使われるようになります。余談ですが14系や
        24系の寝台車は登場した当時はニューブルートレイン
        と呼ばれましたがモハ90系(→モハ153系)の「新湘南
        電車」やJR東日本が「国電」に代わるものとして
        使った「E電」と同じく定着しないままに終わりまし
        た。
         そして今や14系、24系が旧型客車と呼ばれても
        おかしくないぐらい年を経てきています。
         私としては〔銀河〕が20系に置き換えられたあたり
        から20系以降の客車で編成された夜行列車はブルー
        トレインでいいんじゃないかな? と思うようになり
        ました。さすがにトワイライトEXP.が登場するに
        及んで考え直しましたが。
         個人的な嗜好ですが私は「ブルートレイン」という
        言葉は「SL」と同じく好きではありません。その理由
        はここに書くのはいささか憚られるので省略します。
         いずれにせよ「座席車が入っていたらブルートレイン
        ではない」ということになったら【あかつき】もブルー
        トレインじゃなかったことになります。
         まあ、昔あった「寝台列車」という言葉のように
        「座席車主体だから〔はまなす〕はブルートレイン
        とは認めない」という人がいても、それは個人の主観の
        問題ですから私は異を唱えません。

>  ぢぃさん嶋田さんがご指摘の内容はまことにもっておっしゃるとおりでし
> て反論する余地はないのですが、言い訳をさせていただければ、おそらく機
> 関車が黒かったり、茶色だったりした時期というのは、おそらく竹田はまだ
> この世に存在しないか、乳母車に乗っていた頃ではないかと(たぶん)。

         私だって似たような世代です。でも、自分が物心
        (鉄心?)つく前のことは知らない、じゃ淋しいですよ。

>  ちなみに。長野新幹線ができる前の碓井峠。

         あの〜、碓「井」峠じゃなくて碓「氷」峠なん
        ですけど。

> ここで、「押したり押し返したり」を2両1ユニットで
> やっていたEF64は、当時はココ専用だと記憶
> しているのですが合ってます?

         それはEF64ではなく、EF63です。確かにEF63
        は碓氷峠の補機に特化した機関車でした。長野
        新幹線(いつの間にか「行」が取れてしまった…)
        開通と同時に強引に横川−軽井沢間を廃止したのは
        EF63を廃形式にしたかったことと、その代替機を
        造るのが嫌だったからでしょう。まあ「国」鉄では
        なく民間会社になった以上、不採算路線を切り捨て
        るのは当然のことですから東北本線の盛岡−八戸間
        のように第三セクターか何かが引き受けない限り
        廃止になったのは当然のことかと。

>>          このあたりは個人の嗜好かと。国鉄末期に高速貨物
>>         専用だったEF66がブルトレを牽くことになったので
>>         喜んだ人も多かったようで。
> 
> ははぁ、需要はあったんですな。

         趣味的なものは車両運用の結果です。当時、傾いて
        いた(今ほどではありませんが)ブルトレのテコ入れ策
        としてロビー・カーを連結することになりましたが、
        そうなるとEF65の牽引定数を超えてしまう、一方、
        高速コンテナ列車を増強することになったものの、
        こちらもEF66単機では牽引定数を超えてしまう。
         なら、両方の機関車をスイッチしてブルトレをEF66
        に牽かせ、高速コンテナ貨物はEF65PFの重連に牽かせ
        ればよかろう、ってわけで。
         いざ、ブルトレをEF66に牽かせたら乗務員からは
        好評だったそうです。EF65よりも運転台が高いので
        疲れないし空気バネ台車なので乗り心地はいい、
        加速性能もいいから。