ヤルタ・・・ に記述されている内容に大きな誤りはない。
 残念な事に「常に時間は動いている」事に留意する事と、民族性、国民性を加味していないと思われる。
 北方領土に関しては、樺太、北千島、南千島に分けて考えるべきだろう。それ以前に帝政ロシア時代からの彼らの悲願である不凍港の確保は協定の有無に関わらず、目的としていた筈で、日本海、太平洋側への港がウラジオストックだけでは、ソビエト艦隊は池の鯉に変わりが無い事を強く意識していたと思う。
 当時は現在の様に北方領土を含む樺太、シベリアに対しては地下資源等の期待は少なく、戦略拠点確保と航路確保が主な目的だったであろうと推測している。
 戦後日本が統治する領土、言い換えれば放棄べき領土は確かに明記しているが、表現として「付随する諸島」との記述があり、この事が、現在の尖閣列島、竹島、北方領土の問題へと移行している。
 カイロ宣言当時の考え方とヤルタ協定当時の考え方、ポツダム宣言当時の考え方は明らかに戦況と戦後の覇権を巡る環境で異なっており、王朝時代から常に二等国以下とみなされていたソビエトが力をつけても、米欧とは同列では無い。 帝政ロシア時代から受け継がれた差別と不審感は現在に至っても払拭されていない。
 ソビエトとの協定が遵守されていれば、停戦後の侵攻や引き揚げ船の撃沈等はあり得ない筈。ソビエトの言う「大祖国戦争」の後半は、単に南下政策の延長でしかなく、北朝鮮が対日戦争に勝利したと言っているのと同じで、彼らには条約や協定は何等拘束力を持たない時間稼ぎの手段でしかない。
 昨日と今日は条件が違うのが国際社会であり、日本列島四分割統治占領に至らなかったのは、ドイツの轍を踏まないとしただけだろう。 連合国側に北海道占領を阻止する義務は無いが、後の厄介さから比べれば今止めて置こうとの力が働いたと考えるのが妥当と言える。
 連合国側には勝者の論理で蹂躙する考え方は無かったと言える。第一次大戦の処理は勝者の論理で行ったが、その事がナチスドイツの誕生に繋がった教訓は学んでいたのだろう。