嶋田です。

Masahiko_KODERA さんは書きました:

> 南海のキハ55をベースの車両、背ズリとか少し良かったような話も
> 雑誌で読みましたが、

         でも車両限界の関係で乗客が窓から顔を出せないように
        横棒が付いていました。あれは視界を著しく狭く感じ
        させるので嫌いでした。同時代では京阪の特急車(旧)1900
        系、現代ではJR東日本の特急車(こちらはブラインド
        カーテンのレールで縦ですが)に見られます。

> 「北アルプス」も、高山線直通急行とか言って線内料金を取って
> いたように思います。

         名鉄線内では特急扱い、国鉄線内では急行扱いでした。
        通しで乗ると両方の料金の合算額を取られたと思います。
         その時、印象的だったのは当時の学割制度は国鉄線を
        101km以上乗る場合だけではなく、名鉄にも学割制度が
        あったため、名鉄+国鉄の乗車距離が101km以上であれば
        学割乗車券が買えたことでした。
         それと当時の国鉄は全車喫煙可能でしたから車内に
        灰皿が取り付けられており、「名鉄線内は禁煙」と表示
        してあるのに平気でタバコ吸っている客が居て腹が立った
        ことです。

> じゃなぜ準急でデビューしたのか?ですが。こっちは国鉄側
> の優等最上位が「たかやま」で、その種別に合わせたんじゃなかっ
> たかなと。

         高山本線内の最上位列車は名古屋−金沢間の〔加越〕で
        急行ではなかったでしょうか? 高山や飛騨古川止まりは
        全部準急だったと思いますがこれは〔ひだ〕ではなかった
        でしょうか?
         で、高山止まりなので他の列車に合わせて準急で
        デビューしたのかと。
         列車の編成も名鉄側は全車1等か全車2等を希望したのに
        国鉄側の1等2等混合案と対立し、結局、名鉄側が折れて
        1等2等混合編成でデビューし、後に普通車だけになって
        キロはキハに改造されたのでした。

> あと車体側でキハ80並をやってたものの床下は58系に近く、要は
> コイルバネ台車で。

         パノラマカーを気動車に反映させたかった名鉄側と国鉄
        線内で故障でも起こされた時に修理が困難になるので国鉄
        仕様に合わせることを要求した国鉄との妥協の産物でしょう
        ね。まあ、車内の接客設備や車体構造が国鉄と違っていても
        国鉄線内で故障を起こした時の修理には関係無いでしょうし。

> 格上げ後は国鉄線内動力分散形特急で希有な(同年代で旧客特急が
> 絶滅後なので唯一の)コイルバネ台車特急だったかと(結局、やや
> 「遜色」?)。

         でも、今は特急【はやとの風】なんてのがありますね。