古寺@出遅れですが。

Karura Asagami さんwrote:

>  9月ではありますが夏休みを取りまして、夏期吉例『併用軌道探訪の
・・・
>  木曜日の晩に出発するんで大丈夫だろうとタカをくくっていたらどう
> してどうして。東京or新宿行きのJR夜行バスは、青春、メガ、普通、
> どれも満席。メガに乗ってやろうと企んでいたんですがあえなく挫折。
> 列車の夜行をしり目に、バスの夜行は相変わらず元気なようでございま
> す。

私も去年、9月末の連休にくっつけてお盆休みが取れました。休日
は家族サービスというか、子供の運動会かな?で、平日2日を、夜行
(の何か)で目的地まで行って、あちこち乗り歩きながら1日掛けて
戻って来るというのを企図しました。
で、実行する平日休みにくっついた、直前の週末に掛かった頃、確
か「発車オ〜ライネット」だと思いましたけど、登録無しで空席情
報が分かるところを見つけまして。
で、たとえばバスで富山に出て、地鉄鉄道線は我慢するとして、市
内線、バスと渡船で新港を渡って加能越、特急で移動してえちぜん
は一部として、福井電鉄経由して却って来られるか...とか、時刻表
をめくりながら20分ほど考えていると、みるみる余席が無くなって
行く。「良しこれで行くか」と思ったときには△→×とか。
1〜2席残っていても、10年ほど前ギリギリで潜り込んだ「ドリーム
豊田?」(金がないプライベートな帰京の帰路、「西へ向かうのなん
でもいいから」と八重洲口で聞いたら、これの1席しかなかった^^;)
だかで、独立3列でも満席の真ん中は行き苦しかったんで。
どっちみちどれも埋まるんだ(しかも、どれも今からじゃ中央席か、
相席の通路側)と思うと急激に萎えまして。

結局、長崎行きの「あかつき」(去年の9月は、まだ熊本行き併結だっ
たような)レガートシート(極めて余裕)→長崎電軌早回り→博多に
戻って連続立体化から都市計画的に結節した千早で西鉄宮地岳線へ
→後に廃止が取りざたされる区間に20年ぶりには入れず、駅舎解体
で話題になる香椎→長者原から筑豊入り、筑豊電鉄、筑豊本線で戻
り平成筑豊、日田彦山と2回転→北九州モノレールで小倉から「のぞ
み」と。実質1日で結構濃かったので満足でした。

>  JRが乗れないと知って危機感を抱いた小生、近くのJTBに駆け込

田舎暮らしだと、駅の「みどり」以外これが出来ないのが不便で。

#JR-Wの「お出かけネット」の宿予約インターフェースがヤヤコシ
#く、なぜか不要な日本旅行サイトのアカウントも作っちゃったん
#で、今度からその範囲ではネット予約かのうかと。

>  さて、ご記憶の方も中にはおられるでしょうが、小生「銀河伝承会の
> 茶坊主」。しかるに夜行バスの軍門に下る後ろめたさで、東京では毎度
> 寝台『急行』銀河のお出迎えをしております。最近も嶋田さんがお書き
> でしたが、客足・・・、寒いですな。扉が閉まるまで見てましたが、百
> 人いってないでしょ、ありゃ。

私も今世紀に入って不思議と乗らなくなってますね。1995年から5年
くらいは、なんのかんの言って「銀河」は安泰だろ?という印象を深
めて(程度の乗りは有った)いたんですけど。
この夏も2度ばかりキツイ出張が有り(もうアオリで夏休みは無理か
も)、さらに無理すれば「銀河」特性も高い方の移動になったんです
けど。エクスプレス予約のポイントと、J-Westのポイント(前出の宿
も)に釣られて、そこまでの無理はしませんでした(ダメじゃん^^;)。
前なら、日も落ちた後の東海道新幹線に乗るくらいなら「銀河」で
組んでた頃も有ったんですけど。

>  さて江ノ電。あの車体であの線路であのバネ式転轍機(俗称、バネポ
> ン (大嘘) )で、あのワンハンドルはもったいないと思うのは小生だ

スプリングポイントという用語が、割と一般的だと思いますけど(^^;
江の電ってそうでしたっけ(気にしてない)。スレッドが伸びた先で
先にフォローしてましたけど、京急形ワンハンドルを採用した当時
としては、あれはなかなか画期的でした。

#そこで書き忘れましたけど、もうちょっと後に出る箱根登山の新
#車などもふくめて、あんまり親会社っぽくない(小田急は新旧併結
#で、オーソドックスな運転台が長く残る)、メーカー主導っぽい
#デザインがなされているところです。

> 員室を見ると卓周りがかなりゴージャス。片手握りのワンハンドルっす

京急800の、ほんの数年遅れでしたから、四半世紀前の話題なんです
けど、趣味団体の賞受賞なんかも、そこらへんのインパクトが大き
かったかも。

> か。連接だったり電連付き密連だったり1車だけドアカットだったり意
> 外に女子学生(中学? 高校?)の利用多数だったり。あなどれんな、
> 江ノ島電鉄よ。

12分ヘッドでギリギリの交換駅、利用の増加を「重連」で捌くという
状況が'70年代末期くらいからずーっと有って、それなりの「備え」
が必要だったわけです。省令で「中小もATSつけろ」というのが出た
のは、大手より随分遅れての話...というのを、京福事故なんかの際
に書きましたけど。江の電は新京成・相鉄や山陽、神鉄などの準大手
(一部、現在大手)の後くらいに早々に装備していました。
重連対応のホームを作るのがやっとの狭い用地で過走余裕も、安全側
線作るどころの用地も無し。従って同時進入禁止(ダイヤに余裕が無
いのに)ってところで確実に場外で待たせたり。警戒現示での入線も
有ったっけかな? その辺、保安の整備はしっかりやってました。
12分ヘッド限界、あとは連接車の重連のみだったと書きましたけど、
湘南モノレール開通によって一時期利用の伸びは止まってた(減った)
んですよね。その後何度か、ドラマがらみなどの鎌倉ブームや湘南
ブームが何度か有って、1000形以降を投入しながら「連結車」(4両
では連接重連より長くなるので組めなかったはず)から優先的に淘汰
を進めるというのを、ずっとやってきたと思いました。
通勤時間帯の輸送力は早々に飽和してましたけど、通勤需要は小田急
や湘南モノレールに流れがち(独占的な鎌倉方は、人口増加の余地が
小さかった)なんで。抜本的な再構築とかなしに、今の形態でズルズ
ル来れたのだと思っています。

>  通勤で毎日交流モーターの音を聞き、線路は地下か高架な日々を送っ
> ていると、江ノ電みたいな路線はエラく新鮮に写ります。あの短い車体、

以前は玉電由来の車両とか多かったんで、世田谷線のロケーション違
い程度に、子供の頃は思ってましたけどね。平野のだだっぴろい関東
の者的には、関西私鉄には神鉄始め、本格山岳路線が多いのがむしろ
新線だったりします。
予備知識となる書籍などでは、決まり文句的にサービスがどうこうと
いうウンチクの方が多いので、いきなり見てビックリみたいな。