古寺です。

SHIMADA,makoto さんwrote:

> Masahiko KODERA wrote:
> 
>> 近車は、東京都や大阪市、営団と行った所で、大手の川重(兵庫)や日
>> 車に伍してよく見かけます。地下鉄が得意なのか、公共団体が得意な
>> のか。
> 
>     京都市の10系、50系は近車に丸投げしたようなものだ
>    そうです。道理で登場時の鉄道雑誌での紹介も淡泊な

しかし、(記憶ですけど)印象に残った点で、公式紹介ではなく
ニュース記事では、当時の市長さんがデザイン案から「コレ」と選
んだ、てなこぼれ話が書かれていました。これが大変印象に残って
います。
新車登場ではなく、確定デザインの報道ですね、多分。
最初に画が目に飛び込んで来て「えー」っと思い(洒落ではない)、
鶴の一声らしい(記憶)くだりを読んで「この方にとって(も?)千代
田線がかっこいい地下鉄の代名詞なんだろうなぁ」と思いました(^^;

#似てると思ってるのはお前だけとか言われたらどうしよう。

あと、規模の割に地下鉄・公営でよく見ると言えば、今は亡き「ア
ルナ」が有りましたね。前の記事を投稿した直後に「しまった」と
思いました。
国鉄の民営化と機関車の激減で、日立(下松)が東日本含めて、私鉄
各社に車体も収めるようになったり(*)、アルナが新車をやめちゃっ
た後に入ったり、最近は様相が異なって来てるとは思いますけど。
前記事に書いた通り、首都圏で輸送費が掛からないようにとすると
東急車輌しかないんで(^^;、今は割とまんべんなく各社製の電車が
揃ってますよね。

#さて、ここまでのつもりでしたが、また逸らします。

*=国鉄民営化後の地盤変動前の感覚だと、関東で日立製の電車を
よく見たのは京王、東武...と書き掛けてすぐ気づいたのですけど、
それらは電機品に比較的多い(水戸製)のでした。別記のように一括
受注で無い限り、電機品はユーザーが別発注して車体メーカーに
支給する方が通常です。多分、車体は競争させる事で価格を抑えや
すいが、電機品は受注会社で構造仕様が変わると扱いにくいから
などからかと思います。
国鉄を除くと車体の方の日立(下松)製が見られたのは、関東では
相鉄くらいですね。他に西鉄の連接車とか、東武日光軌道線あた
りにも有ったかもしれません。トラムは近年でこそ(やめる前の)
アルナとか新潟鉄工ぢゃなくってトランシスが浮かびますが、
高性能車出始め頃というと日車や日立などがトラム向け台車製品
なども持っていて「隆盛期末期の近代車」に多かったかと。

#日車は、当時の路面電車向けについては、制御器など電機品の
#自社製品が有ったそうです。

あとは南海軌道線需要も有り、帝国車両が作るの得意な方だった
のかな。ここは東急車輌に合併されて、南海の電車は鉄道線も含
めてもっぱら東急車輌が作るようになりました。旧帝国の大阪の
鉄道車両製造拠点は、とっくに無く、南海の電車も横浜から回送
してました。メーカーの多い西日本にしては遠距離納車ですかね。
念のためWikiで確認したら、特殊車両(特装の自動車)などで2003
までは堺の事業所が健在だったそうです。また堺に有って、戦前
の梅鉢時代は京成の傘下だったとはビックリ(確かに京成のオール
ドタイマーにも梅鉢製は有ったよなぁとは思ってましたが、系列
とは...)。梅鉢製のオールド路面電車は珍しくなかったですから、
帝国がアルナ以前の高性能トラムとかやってたのは、むしろ当た
り前かも。

東急車輌本体も玉電がらみの路面車両は作るなど、取引先が望め
ば路面電車だって作るケースも有ったようですけど。鉄道用が汽
車会社→川重だった京阪で、高性能釣り掛け軌道線用80形を作っ
た際は近車が受けていたとか。

#80形惜別ビデオ(確か公式)を買ったら、それは社として非常に
#珍しい事と強調されてました。当時の川重が作ってくれなかっ
#たんだろうか??