安倍、麻生が昨日曜のテレビ番組で日本の首相が靖国参拝を止めれば首脳会談に応じると述べた胡錦濤主席の発言を批判した。
 安倍は「政治目的を達成するために、首脳会談をしないことを条件として出すのは間違っている」「靖国意外の問題が起きた時にも、『首脳会談を出来ない』と言われる。首脳会談をやってもらいために政治的、経済的な私たちの主張を取り下げていいのか」と言う。
 普三の前段の発言についてはこう思う。
 ある行為に対して不快に思っていること、そしてその不快と感じる理由が不合理ではない場合に、その不快な行為を続ける限り、会いたくないと思うのは自然である。国民のほとんどがそう思っていれば、その国の指導者がそう発言するのも当然だろう。
 靖国参拝を止めることが、日本の国益を害することになるというならば別だが、そんな問題ではないのだから、「政治目的」があるわけではないし、靖国神社は一種の霊園であっては宗教ではないから、信教の自由を深侵害するといことでもない。参拝を止めることは、政治目的云々の問題以前の外交的マナ−の問題であると思う。
 また、後段の批判は、相手の言っていることを拡張して、全く異質な、国益にからむ政治的、経済的な主張の場合まで広げて、非条理だと論駁するというディベ−トテクニックの常套に過ぎず、捻じ曲げられた屁理屈である。
 つまり、普三の批判は苦し紛れの屁理屈に過ぎないということである。靖国参拝は反国益の有害無益の我執行為に過ぎないからである。
 こんな批判は、普三の頭の程度を露呈しただけの無意味な発言である、といわざるを得ない。
 村上新八