民主主義社会では「言論の自由」は基本的な権利として保障されねばならない。が、他方「信教の自由」は、単なる自由とは異なる性質を持っている。それは、信仰者にとっては、よりビビッドな精神の拠り所となっている神に関する事柄だからである。
 だから、いくら「言論は自由であると言っても、信教をからったり、カリカチュア化するようなことは避けるべきである。それは一政治家や指導者個人に対するからかいとは違って、信仰する「神」をからかう行為だからである。
 今、大騒動になっている、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画騒動は、イランのアフマディネジャド大統領の核開発に対する強硬姿勢を風刺したい気持ちを表したものである。その気持ちは分かるが、このような性質のからかいだからである。
 預言者ムハンマドはキリスト教で言えばイエス・キリストに匹敵する人だと言われているが、だとすれば、ムハンマドを漫画化するのは、キリストを漫画化するのと同じであり、そんなことをされたら、世界のキリスト教徒が怒り狂うであろう。ムハンマドの漫画化にイスラム教徒が怒るのは当然なのだ。
 宗教をからかうのは言論の自由の埒外であり、大変な危険を伴うだけでなく、他人の信教をは、それを尊敬しないまでも、そっとしておいてやることは、人間としての基本的なマナ−なのだ。
 村上新八