> >  つまりあれは「自分のためにインドあたりをふらふら放浪している若者と同
じ」っ
> > て言いたいんですか。それとも「おしゃれのために」とか? だったらそう言え
ばい
> > いのに。
>
> どこまで話を退行させるのでしょう。
> 子供の話?
> だったら、話はもっと簡単。
> 子供が行動するのにいちいち理由なんていらない。
> 白いわっかを付けたいから付ける。それでいい。

 退行? いえ、そういうことにしたければそれでいいですが……。
 ますます意味不明です。どうも使っている日本語の土台が違うみたいだ。
 語義の擦りあわせのほうが先みたい。

> 自戒って、、、
> 私は、理屈持ってますよ。

> 理屈持ってない人が、じゃぁあれはどうなんだこれはどうなんだ、と
> いろいろな例を持ち出したりすることに終始するんでしょ?

 アフリカや中南米などの最貧国向けに援助活動しているNGOが理屈「持ってない」
?
 何を根拠にそういっているんでしょう。
 別の記事で書いたペシャワール会もじゃあ理屈持ってないんでしょうね。

> >  kenkenさんは「やりっぱなし万歳!」みたいなのできっとこの先お話しても平
行線
> > のままでしょう。
>
> こんなになっちゃってるし。

 そりゃそうでしょう。いくら理屈や理念があったって(その理屈や理念は現地の人
の暮らしを良くして生活や国家を再建することでしょう。そのために日本やよその国
のゼネコンが出かけて箱物を建てたり、現地の人々を雇って生活を支援し最終的には
国家を再建することです)それが理念や理屈どおりに実現していないのですから。な
ぜ実現してないかといったら「ODAでやりました」という形だけだからでしょ。なん
かやったっていう実績だけ残したい。それだけ。
 あとのフォローは? それも本来はODAの理念・理屈のうちに入っているんじゃな
いんですか? なのになぜ「やりっぱなし」なのですか?
 現地で廃棄されている工場や機械は何? 生活改善されていない人々は何?
 これを放置していたら、いくら理屈や理念を持っていたところで「やりっぱなしマ
ンセー」って指摘されても仕方ないですよね。

 だから交通遺児とあしなが育英基金へのたとえをいくら「違います」と言ったとこ
ろで変わりません。それがODAの構造だからです。ホワイトバンド活動の構造でもあ
ります。そんなことわたしは知っています。
 ホワイトバンド活動で救えないものはODAの理屈や理念が立派でも救えません。
 どちらも枠組みや構造は同じだからです。ことさらにODAには理屈や理念があると
いったところで変わりません。

 結局何がいいたいのかわかりません。
「(ODAもホワイトバンド活動も)どちらも構造は同じだから救えない」と言いたかっ
たのならはじめからそう書けばいい。
 言葉でコミュニケーションしてるんだから、書いてもらわないと伝わらないです。


"kenken" <kirahoshi1@excite.co.jp> wrote in message
news:434D0DA9.56E2554F@excite.co.jp