カントは実践理性批判のなかで、道徳と神との関係について述べている。
 人間には生得的に善悪を区別する能力が備わっているとカントは考える。これがわれわれの行動を正しく導く「実践理性」である。
人間は自分でコントロ−ルすることが出来る「意思の自由」を持っている(意思の自律)。しかし、その意思は「快」を好み、「不快」を厭うという感性的な低級な欲求をも持っているから、これを制御する外的な法則が必要になる(意思の他律)。
 また、「快」「不快」が人によって受け取り方が異なるという事実(意思の格率)ということも考慮しなければならない。
 こう考えると「意思の格率が同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為する」ことこそが最高の道徳原則だと言える。
(道徳律) つまり、善悪の最大公約数を踏まえて行動しろとというのである。
 この道徳律は、無条件に従わねばならない「定言的命令」であって、場合によっては従わなくてもよいという「仮言的命令」ではない。
 至高善は実践理性の理想であるが、その理想は神によってのみ実現される。
 至高善は最高の幸福と完全な徳「神聖」からなるものだが、人は無限の過程でしか神聖に近づくことはできないから、至高善が実現できるのであれば、「魂の不滅」が前提とされねばならない。
 また、完全な幸福は一切が思い通りになることであるから、それに、そのような幸福を与え得る存在者がいになければならない。その存在者がすなわち神である。
 こうして、カントは実践理性から「神」と「魂の不滅」の理念を生み出しているのである。
 村上新八