《上海郊外の決戦では、悪戦苦闘の末勝った》



上海戦で日本の将軍は劣勢の将兵を良く励まし、苦戦の末勝利を手中にした。



紹介石はドイツ軍人指揮の下、ゼークトラインといわれるトーチカで防御された強固な防衛陣地を敷いていた。

この戦いは苦戦の連続で、6万の戦死傷者を出した日露戦争の203高地の屍山血河に匹敵するほどの大量の戦死傷者を出した記録的な悪戦苦闘の戦史であった。
上海戦における日本軍の戦死者は9115人、負傷は31257人(嶋田繁太郎日記)を算し、南京占領までをあわせると、戦死者21300人、傷病者50000余に達し、最初から上海戦に投入された部隊は、定員とほぼ同数の損害をうけている。
例えば第11師団の和知連隊のごときは3500人のうち、戦死1100、戦傷2000余の損害を生じ、この間、11回にわたって2500〜3000を補充するといった状況であった。



日本は、全滅部隊も出しながらやっと勝利したのだ。
これらの国民の必死の努力を日経はいったいなんと心得る。



日本が敗北していたら?

戦場になったのは日本領土の方だ。

戦後の悲惨な引き上げ劇が、満州朝鮮で繰り広げられただろう。



日経の主張は日本が負ければよかったという主張だ。

正しいようで正しくない主張だ。



世界の非常識でしかない。