"txm" <txm@no_spam_please_softhome.net> wrote in message 
news:4vidnWX3_ovSxZPcRVn-uQ@comcast.com...
> > 旧日本軍の年金をもらっている人達がまだかなりいて、そういう人
> > 達の支持を得るためってことなんだと理解しています。

 あの戦争で親が戦死した子供と言うのが、現在でも相当数いますからね。

> そうだとすると、あと10年もすると、政治家は誰も靖国を参拝しなくなるわけです
> ね。うーん、現金なやつらめ。

 一般的な日本の仏教の社会慣習では、死者の慰霊を個別に行なうのは
せいぜい50回忌あたりまでで、それすら行なわれないことが多い。
(その上に100回忌と言うのがあることはあるらしいが)
 現に、それ以前の戦争での戦死者に対する慰霊は、現在ではほとんど
行なわれていない。

 太平洋戦争の慰霊がここまで長期間大規模に行なわれつづけてきたのは、
・現在でも、戦争で親や兄弟などが亡くなった人が多数いる。
・8月15日という終戦の日が仏教の盆と同日で、宗教的な慰霊と深く結び
 ついてしまった。
と言う理由が大きいが、それでも未来永劫続けるようなものではないだろう。

 身近な肉親を戦争で失った人たちが一人もいなくなった後にまで、戦争
の犠牲者を慰霊するという行事を、現在のままで続けられるとは思わない。
 すくなくとも、唯物的には何の役にも立たない「慰霊」と言う行為を、大き
な政治的問題として取り上げ、政治家がどこの神社に参拝したかで一喜
一憂し、貴重な税金を使うようなことをするべきではないだろう。
 8月15日の全国戦没者追悼式、6日、9日の原爆死没者慰霊式、原爆
犠牲者慰霊平和記念式もふくめて、新たなありかたを考えるべき時期に
来ているのではないだろうか。

 現在日本で行なわれている様々な行事、風習、祭りの中には、過去の
災害などの慰霊をその出発点としているものが数多くある。
(神戸のルミナリエなどもそうだ。)
 太平洋戦争の戦没者追悼も、その様なものの一つとしてひっそりと行な
われるようになっていくのだろう。
 815を、政治的対象から伝統行事へとフェードアウトさせる時期がきて
いるように思う。

> >     日本は前回の戦争に関して、日本人としてのけじめをまだつけてない
> 
> これからもしない・できないでしょう。情けないことです。

 2005年の8月15日は、終戦から60年という節目の終戦記念日を迎え
ることになる。
 これは、社会の中核を占める60歳以下の現役世代の全員が、戦争と直
接かかわりをもたない戦後生まれになるということでもある。
 個人として、戦争に対して何の責任もない人々だけで構成される社会が
何を持ってけじめをつけろといわれるのか?

 さらに裏を返せば、中国、韓国においても現役世代の全員が、戦争の直
接の被害を受けなかった戦後生まれになるということでもある。
 親が戦争の被害にあったということを、まるで遺産か何かのように考え、
実際には何の被害にもあっていないのに様々な要求を繰り返す輩に、いつ
まで付き合わねばならないのか?

 個人としては全く責任がないことについて、責任とけじめを要求されると
言う点においては、政治家も一市民も等価である。
 慰霊と同じく、けじめをつけたいと思う個人が、それぞれのやり方でけじめ
をつければいいのだし、それを他人に強制する事は出来ない。
 ましてや、個人としてのけじめをつけようともしない輩が、他人に特定の
けじめのつけかたを強制するのは、醜悪と言うべきであろう。