iizuka wrote:
>  最も擁護の意見で見られるのは、「鹿島を強くした」というも
> のだと思います。

ただ、鹿島ではかなり基礎的なことから「教えて」いたのに、代表
では何も教えていないのはどうしたことかと訝る声もあるようで
す。つまり、鹿島を強くしたようには代表のレベルを上げようとは
していない。暑熱対策せずにシンガポールに行くと語った文脈から
も同様の気分がうかがい知れますが、代表に呼ばれるようなレベル
の選手に教えることは何もないと思っているのかもしれません。そ
のあたりが「勘違い」なんでしょうね。

>  テレ=サンターナ著「我が心のサッカー」という本がありま
>  す。
>  そこには以下のように書いてある。
> 「ディフェンス陣のグループとしてのまとまりがよくなければ
>  、失点を大量に食ってしまう」
略
>  当時のビデオを見るとわかりますが、テレ=サンターナのブラ
>  ジル代表は今ほど洗練されてないとは言え、ゾーンディフェン
>  スを使った組織的なチームです。

ここで語られている「組織」とはディフェンス組織のことですね。
そしておそらくサッカーにはディフェンス組織以外に必要な組織は
ないわけです。トルシエにしても組織として与えたのはディフェン
スばかりでした。そして、そのディフェンスの組織化にその任期の
ほとんどを費やしたわけです。ディフェンスの組織化のあと、トル
シエは、そのディフェンスから攻撃に移るまでのオートマタイゼー
ションまでは作りましたが、結局攻撃に独創性が育たなかった。お
そらく育てる時間は彼にはなかったしそのすべもなかったんでしょう。

一方ジーコはと言えば、わざわざディフェンスに穴を作るような最
終ラインの人選、システムにないポジションへの交代選手の投入、
選手任せの3バックの気まぐれ導入など、どこにディフェンスのポ
リシーがあるのかと疑いたくなるようなマネージメントが続いてい
ます。

その根拠のひとつは「攻撃は最大の防御である」ということらしい
んですが、攻撃ならたしかにまとまった組織を作る必要はないわけ
です。卓越した能力を持つ選手2、3人の連携があれば攻撃はでき
ます。そして、守備と違って、攻撃は「教えられない」ものですか
ら、こういう考え方で行くかぎり、監督は攻撃に関して才能ある選
手を選ぶ以外何もすることがないわけです。まあ、「勘違い」とい
うことなんでしょうが。

思えば、テレ・サンターナの「組織と自由の高度な融合」はきちっ
とした守備組織の上に天性の卓越した攻撃センスをもつ選手を得て
はじめて完成するという類の物だったわけです。ただ、サンターナ
監督のブラジル代表は前任者のチームとは「自由」という点できわ
だった違いを見せたことも事実で、その開放されたかのようなサッ
カーが「美しい」と表現された理由でもあるわけです。ジーコが影
響を受けているのはまさに、その「自由」であり、また、勘違いの
原因もその「自由」だということなんでしょう。

萩原@グリフィス大学