> "arima" <se@hteinet.de.htokai.ac.jp> wrote in message
> news:c0lcfv$i47$1@nn-tk106.ocn.ad.jp...
>
>>"SASAKI Masato" <cal@nn.iij4u.or.jp> wrote in message
>>news:20040206213641cal@nn.iij4u.or.jp...

前回は、ニュースグループに於ける法への関わり方の一端をぼくなりに示したつ
もりでしたが、しかし、このようなぼくの考えなども結局は一般的な法の「学び
方」あるいは「知り方」というものの規定を受ける訳で、それを意識する事の方
が遥かに有意義であるわけです。その一例を以下に掲げますが、それによって参
加者が何らかのご参考にでもなればと思います。おそらく、忘れてしまったかど
うかは分かりませんが、皆さんが大学等で教わった事と大差ないものと思われます。

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<学説への対応について>

現在の法学教育に求められているのは、支配的な学説が述べている事をそのまま
鵜呑みにしたり、それが展開する思考枠組みをそのまま機械的に適用する能力を
磨くことではない。むしろ、それらを含めて批判的に検討し、新たな考え方を自
らの内に構築できるような創造的思考能力の獲得こそが求められているのであ
る。


<判例への対応について>

(憲法)判例が今後も重要な位置を占めてくるのは、裁判所が憲法の公定解釈権
を持ち、また最高裁判所が憲法解釈についてラスト・ワードをもっている以上当
然のことである。しかし、…憲法理論の実践的・試験的応用訓練が憲法裁判に限
定されないことも忘れてはならない。

また、判例のみを重視する学習には、次のような問題点がある。判例問題には、
判決・決定などのかたちで裁判所の一応の解答が示されている。となると、それ
を批判するにせよ擁護するにせよ、議論の出発点あるいは枠組みが判例で展開さ
れた理論に縛られて、それを超えた、憲法の原理・原則から議論を展開する上で
の桎梏となるという問題が出てくるのである。さらに、現在進行中の司法制度改
革の眼目が、「法の支配」の徹底にあることに鑑みると、そして、憲法を軽視す
る昨今の政治現象を見ると、むしろ、今こそ裁判と言う枠組みにとらわれない、
憲法現象の解析能力の養成が緊要の課題であると考えたのである。

繰り返しになるが、(憲)法の学習には(憲)法の思想から出発した論理的で自
由な発想の涵養こそが重要なのである。


   渋谷秀樹著『Logical Argument over the Constitution of Japan』より



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再びぼくの考えに戻ると、上記渋谷秀樹先生のメッセージはぼくが大学で教わっ
たこととほぼ完全に同趣旨であります。しかもそれはニュースグループで言えば
S氏のような立場を取る論者に否定的に向けられたメッセージでもあったと改め
て思う訳であります。

S氏がまだ見ぬ問題(単に新しい問題というのではなく、書かれていない問題)
に、そうでない問題に比べ極端に劣ることがそれを物語っていると思う。

従って氏の上記に反する法学習感覚からするfj.soc.lawのあり方めいた意見は、
そもそもの間違いをたぶんに含んでいるものであり、むしろ、ニュースグループ
であればこそ氏の意見は通用しないものと考えてよい。ニュースグループ管理者
にはこのWeb上の技術的なこと以外の「内容」的な点での監視を強化願いたい。

最後に、渋谷先生の真似をして、

   (憲)法の学習には(憲)法の思想から出発した論理的で自由な発想の
    涵養こそが重要なのである。

    そうである以上、soc.lawにおいては、なおさら理論的かつ自由な発想
    で論ずる姿勢が求められているのではあるまいか。


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みんなのケンちゃん