てつたろです。

"tetsurou hayasaki" <s1041061@u-aizu.ac.jp> wrote in message
news:040205220556.M0118472@std2ss27.u-aizu.ac.jp...
> ども、様です。

お帰りなさいませ。

> なんかここが盛り上がるのも久しぶりでうれしい気分。

ちょっと重いんで皆さんには避けられているかな、
とか思ったり。 ^_^

> 私のスタンスは、
> ストーリーをよりたのしむには、
> 主人公のキャラクターはハッキリしていたほうがいい。
> 顔も出したほうがいい。
> 声もあったほうがいい。
>
> #ちなみに、Airの主人公の国崎往人の顔は
> #マニュアルのキャラクター紹介で出てたと思います。

プレイ中、顔を見た記憶がなかったんです。
でもKeyのサイトにも顔が出ていましたし、ストーリー
中にも出てくるようですね。
#うーん、思い出せないよ。(._.)
マニュアル探そうにも、箱毎古い地層に埋もれて
なかなか掘り出せない。
ええ、私は片づけ下手です。

> 前の書き込みで
> PC(プレイヤーキャラ)と主人公がどうのこうの言いましたが、
> それはPCに感情移入してゲームをプレイするとき、
> そいつがカッコイイほうが私の好みだ、といったところです。
> たとえPCが全然自分の思い通りにならなくてもかっこよければ許す。

ストーリーを読む感覚で楽しむなら、PCの暴走も
また楽しからずや。

> 臭作ってゲームではPCであるところの臭作がプレイヤーに対して
> 逆襲するというストーリーでした。
> PCとしての臭作は随分ハッキリとしたキャラクターですよね。
> で、それは「プレイヤーの分身ではない」ということを主張するゲーム
> と言えなくも無いかもしれない。

臭作の「私」は偽善ぽくて嫌いです。
散々臭作を操って好き勝手やっておきながら、
いざ臭作が暴走すると途端に善人ぶるのが
鼻につきました。
…なんて感想はきっと少数意見だろうなぁ。

> もしかしたら、ストーリーを描こうとすると
> プレイヤーの存在を排除することにつながるのかもしれません。
> ストーリー展開上主人公にはどうしてもやって貰わないといけない
> 行動をプレイヤーの意向にかかわらず(クリアするためには)やらせる
> ってことになりますから。

ゲームであればプレイヤーのコントロールはあるのが
基本ですから、本人になった気分でコントロールできるか
神様の気分でコントロールするかの違いなんでしょう。
(あるいは覗き屋か)

仰るとおり、ストーリー性を高くすると登場人物の意思を
100%コントロールするのは無理なので、自己投影させよう
にも乖離性は生じますね。
それを無視して自己投影出来る人は、きっと顔なしで
いいんでしょう。

> 雑魚モンスターを虐殺し続けるサディストになろうが問題なし。

スライムいじめが趣味という主人公がいたなぁ、
あるRPGに。

> それは、ストーリーって物がゲーム内でどう位置づけられてるか。
> ゲームで先に進んだご褒美にストーリーが楽しめる
> って位置づけなら、ストーリーよりもゲーム性が優先するわけで、
> プレイヤーがPCを自由に動かせないのはかなりマイナスなわけで、
> 何やりだすかわからないPCのキャラクターが
> 薄くなるのも仕方ないのかなぁ。

RPGといえば、主人公の顔が出ていても、コントロール
できれば私は自己投影はできました。
「自己投影には主人公の顔がじゃまだ」と考えている人
っているのかな。

#ウルトラマンごっこをするとき、ウルトラマンになり切るには
#ウルトラマンの顔をイメージしたし。

> でも
> ゲームをただストーリーを伝えるための媒体として使用することは
> ゲームのゲームたる所以を危うくするのかな。

わたしゃゲームの枠に拘らないですから、「これは
ゲームじゃない」と評価されても一向に構いませんが。
^_^;
で、「鬼哭街」はゲームなんだろうか…
自分で評価したいけれど、時間がない。
だれか私に時間をください。
(ついでにゲームを買うお金も欲しい…)

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