ども、様です。

なんかここが盛り上がるのも久しぶりでうれしい気分。

私のスタンスは、
ストーリーをよりたのしむには、
主人公のキャラクターはハッキリしていたほうがいい。
顔も出したほうがいい。
声もあったほうがいい。

#ちなみに、Airの主人公の国崎往人の顔は
#マニュアルのキャラクター紹介で出てたと思います。

前の書き込みで
PC(プレイヤーキャラ)と主人公がどうのこうの言いましたが、
それはPCに感情移入してゲームをプレイするとき、
そいつがカッコイイほうが私の好みだ、といったところです。
たとえPCが全然自分の思い通りにならなくてもかっこよければ許す。

10年ほど前にやったゲームで校内写生ってのがあって、
そのゲームでは基本的にPCの姿は画面に出てこない。
でも、ゲーム中で1,2回、ほんのチラッと
顔が出るところがあって、それがすげぇぶ男なもんだから、
PCの顔だって最初は気がつかなかった。
どうやら、カッコ悪い主人公は私の好みではないようです。

稀に音声のあるゲームでプレイヤーの名前を
きちんと役の人が呼んでくれるものもあるようです。
それは、
たまたまデフォルトの主人公の名前がプレイヤーの名前と同じだったとき
です。
残念ながら、私はそういうゲームに会ったことはないのですが。

臭作ってゲームではPCであるところの臭作がプレイヤーに対して
逆襲するというストーリーでした。
PCとしての臭作は随分ハッキリとしたキャラクターですよね。
で、それは「プレイヤーの分身ではない」ということを主張するゲーム
と言えなくも無いかもしれない。

もしかしたら、ストーリーを描こうとすると
プレイヤーの存在を排除することにつながるのかもしれません。
ストーリー展開上主人公にはどうしてもやって貰わないといけない
行動をプレイヤーの意向にかかわらず(クリアするためには)やらせる
ってことになりますから。
#鬼哭街のストーリーはすごく感動的でした
逆に、ストーリーを描こうとしないゲーム
例えばルナティックドーンみたいな育てゲーならプレイヤーは
思う存分PCを操作して自分の分身を演じることができます。
その結果PCが、弱きを助けて強きをくじく勇者になろうが、
雑魚モンスターを虐殺し続けるサディストになろうが問題なし。
#ちなみに私はRPG全般を遊ばなくなって久しい

それは、ストーリーって物がゲーム内でどう位置づけられてるか。
ゲームで先に進んだご褒美にストーリーが楽しめる
って位置づけなら、ストーリーよりもゲーム性が優先するわけで、
プレイヤーがPCを自由に動かせないのはかなりマイナスなわけで、
何やりだすかわからないPCのキャラクターが
薄くなるのも仕方ないのかなぁ。

がんばれ、主人公。

でも
ゲームをただストーリーを伝えるための媒体として使用することは
ゲームのゲームたる所以を危うくするのかな。

                       By 様